「もういい」
「………あ?」
「今日は爆豪くんのこと許せる気分じゃない」
「………は、」

 名字名前は目を細め、心底どうでもよさそうに呟いた。

「もう疲れた」
「………何に」
「あなたのことを許すことに」

 名字名前は続ける。

「暫く会いたくない。連絡もしません」
「………暫くってどういうことだよ」
「わかんない。ずっとかもね」
「おい、」

 肩を掴んだ瞬間、振り払われた。

「おい、とか、お前、とか、そういうのも気に障る。心底」

 反応が遅れたのは、この女に手を振り払われたのが初めてだと気づいたからではない。断じて。

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「あっ経営科女子!爆豪、彼女いるぞ!」
「………」
「名前ちゃーん!」
「あ、電気くんだ」
「………」

 有言実行する女であるということは知っている。数日ぶりに会った廊下ですれ違ったその女は、完全に俺を無視してアホ面に微笑みかけてやがる。それに舌打ちをすると、隣のアホ面は何かを感じ取ったようであった。名前の姿が完全に消えてから、アホ面は呟く。

「………喧嘩中?名前ちゃんに何したんだよお前……」
「うるせえなぶっ殺すぞ!!」
「あそこまで完全無視ってかなりキレてるんじゃね?」
「あァ!?」

 掌を爆破させると、アホ面は心底引いたような顔で呟いた。

「お前…まさか名前ちゃんに個性を使ったんじゃ」
「使うわけねーだろ」
「だよなあ」

 使う使わないの問題ではない。使えないのだ。そう思ったが口に出すはずもない。アホ面はしみじみと呟く。

「女の子ってわけわかんねーことで怒るからなあ。とりあえず謝っとけよ」
「………はァ!?ンで俺が」
「だって名前ちゃんだったら選び放題じゃん。別れたら俺いっていい?」
「殺すぞ」
「冗談だって」

 アホ面は続ける。

「謝って機嫌取れよ。それで名前ちゃんを繋ぎとめられるなら安いもんだろ。爆豪プライド高いから無理だろうけど」
「俺に無理なことがあるわけねーだろ!!」
「じゃあ謝んの?」
「謝るわけねーだろ俺に非はねえ」

 アホ面は溜息を吐いたあと、呟いた。

「誰かに掻っ攫われたりして」
「………あ゛?」
「だってお前より優しくて性格のいい男なんていくらでもいるじゃん。むしろお前より性格に難があるやつを探す方が難し」
「殺す」

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 爆豪くんの些細な一言が気に障ってしまった。思わず死ぬほど可愛くない態度を取り、珍しくキレ散らかしてしまった。やってしまったという思いはあるが、折れてあげようという思いにはなれないところが、わたしもこどもなんだなあと思う。

 どうしてこんなにもイライラしてしまうんだろう。爆豪くんの性格がちょっとアレだということはお付き合いを始める前から知っていたし、許せると思っていた。今まではずっと許していた。彼女に言う言葉ではないだろ、とか、それはないだろ、とか、思うことがあっても。へらへらと笑って流していたのに。それなのに。

 今回も、わたしがへらへらと笑って謝ればきっと今まで通りの関係に戻れるのだろう。今まで通り笑って流せばいい。だけどわたしばかりが我慢するのは違うのではないかと思ってしまった。わたしは彼を許す努力をしているのに、彼はわたしに許される努力をしないのか、とか。そもそも努力とは。考えれば考えるほど、わけがわからなくなっていく。

 寮の部屋にいると一人で色々と考えてしまうため、教室で課題を片付けるという選択は正しくなかったようだ。どこにいても結局はぐるぐると、彼のことを考えてしまう。これ以上続けていても進まないだろう。適当なところで切り上げ、帰る支度をする。

 そもそもわたしと爆豪くんの関係は、フェアではない。きっといつかはお別れすることになるのだろうし、わたしがお願いして付き合ってもらっているようなものである。告白もわたしから言わせたようなものであるし、わたしはいずれ彼の手を離すべきであると悟っているし。

 結局は、それが早いか遅いかの問題だ。わたしの心の狭さが、それを早めてしまっただけだ。いつか来る別れの時を。

 後ろ向きなことばかりを考えてしまう心に呼応するかのように、雨が降ってきた。傘はない。濡れて帰れば多少は頭が冷えるだろうか。そう思い空を見上げる。その時であった。傘を差した、彼が現れたのは。

「………」

 制服から私服に着替えている様子を見ると、一度爆豪くんは寮へ帰ったのだろう。教室に忘れ物でもしたのだろうか。いつものようにへらへらと笑おうかと思った、その瞬間だった。

「………早く入れ」
「は?」
「あ?」

 忘れ物をしたのでは。爆豪くんは傘をたたむ様子もなく、わたしの方に差し出した。どういうことだ。訝しんでいるわたしの表情を、相変わらずキレ散らかしていると判断したらしい。爆豪くんは言いたくもなさそうに口を開く。

「………まだ帰ってねえって聞いたから、来てやった」
「………はあ」

 何とも反応しづらい台詞である。誰から聞いたのか。経営科の寮まで来てくれたのだろうか。何のために。わたしの気の抜けた返事を聞いて、爆豪くんは相変わらずわたしがキレ散らかしていると判断したらしい。もごもごと何かを呟いている。
 
「俺が……、悪………悪かっ………いや俺は悪くねえ」
「………」

 この人は何を言っているのだろう。謝ろうとしている気持ちを汲んであげるべきなのだろうか。全く謝っていないけれど。わたしは溜息を吐き、彼の傘の中に滑り込む。

「寮まで」
「………タクシー扱いしやがって……」
「お願いしまーす」

 わたしの声は酷くよそよそしく傘の中に響いた。爆豪くんは舌打ちをしようとして我慢したようである。雨音が響く。どんどん強くなっていく。

「………名前」
「なに?」

 許してあげないといけない。そう思うのに、わたしの声は冷たく響いてしまう。爆豪くんが、あのプライドの高い爆豪くんが、わたしに歩み寄ってくれているのだから。わたしも歩み寄らないといけないのに。

「何が欲しい」
「……は?」
「買ってやる」
「………」

 金で解決をしたいようである。わたしは呟く。

「物はいらないから謝罪が欲しい」
「………」

 爆豪くんは黙りきったあと、呟いた。

「何にキレてんのか言え」
「え?」
「お前の気持ちが俺にわかるわけねーだろ」
「………」

 彼らしい答えである。わたしは呟く。

「………好かれる努力をしないところ」
「……あ?」
「ありのままの自分を他人に受け入れてほしいって思うことは傲慢でしょ。人に好かれるためには好かれる努力をしないといけないと思う」
「………」

 わたしの言葉は、酷く曖昧に傘の中に響いた。爆豪くんは拙いわたしの答えを聞いて、立ち止まった。

「名前」
「なに」

 先ほどよりも柔らかい声が出せたことに、わたしは心の中で安堵する。視線が交わる。久しぶりに、彼の瞳を見つめた。

「………今後は善処してやる」
「え」
「安いもんだろ」
「…………何の話?」
「別に」

 訝しむように目を細めると、居心地が悪そうに目を逸らされる。わたしはそこで、漸く彼の肩が酷く濡れていることに気付いた。わたしが濡れないように、気遣ってくれていたらしい。

「爆豪くん」
「ンだよ」
「ネックレスが欲しい。シンプルで可愛いの」
「………」
「あとね」
「………何個あンだよ」

 わたしは折れないといけない。わたしの為に、傘を持って、迎えに来てくれたこの人のために。プライドを折って、歩み寄ってくれたこの人のために。どうしても謝罪を口にできない、この人のために。

「キスしてほしい」

 わたしの言葉に、彼はゆっくりと傘を傾ける。世界が遮断され、二人きりになったところで、唇が重なる。

「ゆるしてあげる」
「………」
「キレ散らかしてごめんね」
「………キレ散らかしてはねーだろ」
「今度こそ捨てられるかと思った」
「はあ?」
「喧嘩すると疲れるからこれからはお互い気をつけようね」
「だから善処するっつってんだろ!」
「キレた」
「キレてねえ」

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