わたしが唆した、口は悪いけれど見た目よりも誠実で貞操観念もしっかりしている男の子は、気持ちよさそうに眠っている。唆してしまった。強引に迫ってしまった。そう思うと何とも言えない気持ちになるけれど、彼もなんやかんややる気になってくれて最終的にはいい感じにふわっと終わったのでよかったのだろう。腰に回った手の力は眠っているのに強い。それが嬉しくてたまらない。

「爆豪くん」

 初めて彼の名前を呼んだあの日のことを思い出す。こんなことになるとは思わなかった。まさか自分がこんなにも危ない橋を渡るとは。オールマイト引退事件やら仮免事件やらが重なりナーバスになっているであろう彼の心に寄り添いたいという、彼のことを心配しているように見えて実はものすごく自分勝手な振る舞いをしているわけであるが、爆豪くんも最終的には乗り気だったので問題ない。と思いたい。そもそも八木さんに焚きつけられなかったら彼との距離を一生縮められなかったかもしれない。ありがとう八木さん。まさか自分の言葉がきっかけで我々の関係が最後まで進んだとは思ってもいないだろうし、一生言うつもりもないけれど。

 キスが上手い人だと、思っていた。とはいっても我々は学生であるし寮生活になってしまったのでそんなにする機会はなかったけれど、キスが上手いなあと思っていた。それ以上のことに関しても彼は上手い部類に入るのだろう。プライド的にアウトだと思っていたので経験値はあえて聞かなかったが、お互い初めての割にはスムーズすぎる結果になったと思う。未だに下腹部はじくじくと痛むが、泣き叫ぶほどではなかった。彼の器用さに感謝しなければならない。

「爆豪くん」

 小声で名前を呼ぶが、起きる気配はない。それにわたしは安心している。朝までここにいるつもりはない。もう少し彼の寝顔を見つめたら自分の部屋へ戻る予定である。

 わたしは彼に同情したのだろうか。そう自問自答するが、一瞬で答えは出た。同情はしていない。生きる世界が違う人だ。彼の心なんてわたしにわかるはずがない。彼がわたしの心を理解しえないように。

 同情なんてしていない。だけれど、わたしは爆豪くんの彼女だから。いずれ手を離すとしても、今は彼の一番近くにいたいと思ったから。だから危ない橋を渡り、わざわざここまでやってきたのだ。

 爆豪くんはプライドが高い。他人に弱みを見せない人間だろうし、弱みを見透かされた様な態度を取られるのも癪に違いない。同情なんて求めていないだろう。

 理由を聞かれたときに、言えなかった言葉を呟く。眠っている相手にしか言えないなんて、自分はなんて弱い人間なんだろうと思う。だけれど事実なのだから仕方がない。わたしはもう一度呟く。

「あなたが好きだからだよ」

 言葉は呪いだ。それを知っているから、わたしは彼に「好きだ」と、一生言えないだろう。縛りつけたくない。いつでも手を離せる準備をしていないといけない。わたしはもう一度彼の名前を呼んだあと、再び黒いマントを羽織った。

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「あの女はいるか」
「ひっ!」

 クラスメイトの悲鳴が聞こえたと思った瞬間、震える声でわたしの隣の席のインテリ眼鏡くんがわたしの名前を呼んだ。

「名前ちゃん、ば、ば、ば、爆豪くんが」
「え?」

 眼鏡のブリッジを無駄に上げ下げしながら、クラスメイトは教室の扉を見つめている。そこには完全にキレている爆豪くんがいた。朝からテンションが高い。わたしは目を瞬かせた後、彼に近寄る。

「爆豪くん!どうしたの?」
「どうしたのじゃねえだろふっっざけんな!!!!ヤリ逃げしやがって!!!」
「やっ……!?」

 人聞きが悪いにも程がある。あと大声で言うセリフではない。キレ散らかしている爆豪くんの言葉により、教室は一瞬で沈黙した。恐る恐る振り返ると、クラスメイト達はめちゃくちゃ興味深そうにわたし達を見ている。まずい。これはまずい展開である。

「誤解を招くような言い方しないでよー」
「はああああ!?」
「お詫びにチョコ買ってあげるね」
「いらねーわ!!!ふっっざけんな!!」
「まあまあ」

 本当ならば今すぐに爆豪くんを追い返すか口をふさぎ、クラスメイト一人一人に弁解をしたいところであるがそうもいかない。とりあえず目の前のキレて周りが見えなくなっている爆豪くんをどうにかしなければならない。わたしは彼の腕を引きとりあえず空いている教室に入った。

「何にそんなにキレてるのか」
「勝手に帰ってんじゃねえ!!なめとんのか!」
「朝までいる方がまずくない?」
「そもそも最初にまずいことしたのはテメェだろうが……最後まで責任取りやがれって言ってンだよ!!」
「責任を取るとはいったい」

 女子みたいなことを言うなあと思ったけれど、それを言うと更にややこしくなると思い言うのをやめた。キレている爆豪くんをじっと見つめると、彼は舌打ちをした後に口を開いた。

「勝手にいなくなってんじゃねえ!!」

 朝まで一緒にいたかったのか。帰るときに一声欲しかったのか。女子みたいなこと言うなあ。そう思いながらわたしは彼の胸板を見つめる。昨日初めて爆豪くんの身体をまじまじと見たわけだけれど、わたしは彼の身体つきが好きだと思った。それを告げるべく口を開く。

「爆豪くんって結構着痩せするんだね」
「はあ!?」
「思ったよりがっしりしててどきどきした」
「……………チッ」

 わたしの言葉に爆豪くんは舌打ちをした。どうやらわたしの所感を聞いて満更でもないらしい。可愛い男である。ここでにこにこしているときっと癪に障ると思ったので、わたしは時計を見て時間を確認した後に両手を広げて呟く。まだ朝礼までは時間がある。

「ぎゅってして」
「……………チッ、」

 爆豪くんは教室内は勿論、廊下にも人気がないことを目で確認した後に一瞬だけ抱きしめてくれた。すぐに身体を離される。些か乱暴だったのでよろけると、彼はわたしの腕を掴んだ。支えてくれたらしい。

「ありがとう」
「…………身体は」
「うん?」
「昨日喚いてただろーが、」

 ここで大丈夫かと素直に聞けないのがまた可愛いところである。わたしは目を細めて呟く。

「もう痛くないよ。あ、けど」
「……ンだよ」
「まだ爆豪くんのがはいってるような感じはする」
「……………」

 爆豪くんはわたしの言葉に顔を盛大に顰めた後、爆竹のような舌打ちをして空き教室を出ていった。取り残されたわたしは呟く。

「自分だって勝手に帰るじゃん」

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「名前大丈夫だった!?」
「爆豪くんガチギレだったよね!?」
「怖かった……敵かと思った……」

 教室へ戻ると、クラスメイト達が一斉に心配してくれた。こんなにも手厚い歓迎を受けたことはない。口ぶりは心配そうであるが、誰もが好奇の色を瞳に携えている。爆豪くんが誤爆したあの言葉の真意を知りたがっているのが見え見えである。わたしは呟く。

「最近爆豪くんと大富豪するのにハマってるんだけど、勝ち逃げするといっつも怒るんだよね」
「勝ち逃げ……」
「勝ち逃げか……」
「あー確かに名前、大富豪強そう……」

 適当に吐いた嘘は割と効力を発揮したようであった。寮生活の我々が、平日に異性とそういうことをするのは現実味がなさすぎるからだろう。あとはわたしの日頃の行いと演技力である。伊達に経営科のロバートデニーロと呼ばれていない。可能なら女優で喩えてほしかった。オードリーヘップバーンとか。無理か。

 昨日の八木さんの表情を思い出す。ヒーローは嘘を吐けない。わたしは笑う。

 わたしはヒーローにはなれない。だから、嘘が上手くたっていい。

(181006)