「昨日夜遅くに喧嘩してたのって、1年A組の生徒らしいよ!」
「ヒーロー科なのに!?相当派手な喧嘩だったんだよね?謹慎処分でしょ?」
「名前、昨日の深夜に花火上がってたとか言ってなかったっけ?」
「………あ、うん。窓の外がぴかぴか光ってるなと思ってた。花火じゃなくて誰かの個性だったんだね」
「花火打ち上げるくらいの喧嘩ってやばくない?派手過ぎでしょ」
「それよりも来週からのサポート科との合同授業やばくない!?」
「ペア誰だったー!?」

 クラスメイトの言葉に耳を傾けながら、帰る支度をする。放課後に爆豪くんのクラスに寄ろうかと思ったが、噂が本当ならば彼はきっといないだろう。喧嘩とはいったい。成り行きや詳しい事情を聞きたいところではあるが、爆豪くんが教えてくれるはずもない。むしろプライド的に触れたらアウトに違いない。溜め息を吐き教室を出たところで、潜めたような声で名前を呼ばれた。

「はい?」
「今、時間、あるかい?」

 隠れるように身を潜めて仮眠室から顔を出しているのは、八木さんであった。視線を彷徨わせ、人目を気にしている様子だった。わたしは小さく頷き、仮眠室に滑り込んだ。

「珍しくこそこそしてますね」
「そうかい?」
「普段はもっと普通に声を掛けてくるじゃないですか」
「女子生徒と二人で密会していると噂が立ってもいけないと思って」
「お互いの為に?」
「お互いの為に」

 八木さんはわたしの冗談めいた言葉に笑った後、小声で呟いた。

「その……君は爆豪少年の恋人になったんだよね?」
「まあ」
「その件で少しお願いがあって」
「お願い?」

 目を瞬かせると、八木さんは言いづらそうに口を開く。

「本当は君にこんなお願いをするのはお門違いだとは思っているのだけれど」
「はあ」

 前置きが長い。そんなに言いづらいことなのだろうか。

「その……爆豪少年のメンタル面が不安というか」
「はい?」
「私のメンタルケアがまだ不十分だと思って君に力を借りられたらと……」
「爆豪くんに何かあったんですか?」

 わたしの言葉に、八木さんは苦笑する。

「昨日の喧嘩のこと?」
「もう噂が回っているのか」
「はい。A組の生徒が喧嘩して謹慎してるって。爆豪くんですよね?相手はデクくん?」
「………どうしてそう思う?」
「消去法です。爆豪くんがあからさまに敵意を持って執着してる人って、彼以外にいます?」
「………」

 八木さんは答えにくそうに視線を彷徨わせている。お願いがあると言う割には、わたしには何も話す気はないようである。教師としての立場があるからだろうか。

「爆豪くんに何があったのかはとても気になりますけど、八木さんに聞いても言わなさそうだから別の伝手で聞くことにします」
「エッ」
「昨日仮免試験だったんですよね?そこで何かがあったとかそんな感じかな」
「………昨日の喧嘩で吹っ切れているとは思うけれど、万が一吹っ切れていなかったらと思うとね……。手を差し伸べても私は払われてしまったし」
「手を?」
「ああ。はっきりと拒まれたよ」
「八木さんが?」

 わたしは目を瞬かせる。デクくんを拒むならともかく、八木さんを拒むとは。爆豪くんはオールマイトに憧れている。その彼が差し伸べた手を払う?これは案外根の深い問題なのではないだろうか。

「………ちなみにそれは今の状態の八木さん?」
「今の状態って?」
「オールマイトじゃなくて八木さんの時の八木さん」
「ああトゥルーフォームのことか。そうだよ」

 わたしの向かいに座り、お茶を飲んでいる彼を見つめる。わたしは呟いた。

「爆豪くんは」
「うん?」
「今のあなたをまだ受け入れられていない」
「………え?」
「あなたが引退したことを受け入れられていない。……いや、違うか」

「負い目を感じている。神野事件のことで、あなたに対して」

 わたしの考えが正解かどうかは、彼の目を見た瞬間にわかってしまった。正誤はわかりきっているのに、八木さんは呟く。

「君はそう思うんだね」
「爆豪くんは平和の象徴が失われたのは自分の所為だと思ってる。そのイライラをどうしてデクくんにぶつけることになったかは分からないですけど。八つ当たりかな」
「………さあ、どうだろう」

 嘘が下手なんだなあと、思ってしまった。目の前のこの人は、嘘が酷く下手だ。わたしはそれに触れずに唇を開く。

「それならわたしにできることなんてないですよ」
「そんなことはないよ」
「ないです。わたしが口を出すことではないし、介入すべきことでもない。彼は自分の精神的な脆さや弱さを、他人に知られるのを嫌うでしょうから」
「君は爆豪少年のことをきちんと理解しているんだね」
「してませんよ。わたしには爆豪くんの気持ちがわからない。そもそも他人なのに、その人のすべてを理解しようとするなんて傲慢じゃないですか?」

 わたしの言葉に、八木さんは苦笑している。

「怒らせてすまない。謝るよ」
「怒ってませんよ」
「君と彼の関係を、私は見誤っていた。そうだな……もっと、初々しいものだと思っていた。青臭い真夏の果実のような」
「何だか詩的ですね。比喩が過ぎますけど」
「言葉は悪いが、君を嗾ければ爆豪少年の心に寄り添ってくれると考えたんだ」

 八木さんは続ける。

「君の考えはよくわかった。私が思っている以上に、爆豪少年のことを尊重しているということも」
「……」
「これは個人的な、友人からの頼みとして聞いてくれないか」
「………」

「私が手を差し伸べても、彼はその手を跳ね除ける。だが君が彼に手を伸ばせば、きっと――、彼は君の背に手を回すだろう」
「どうかな」
「君は以前に、コンプレックスを彼に許容されたことがあると言っていたね」
「………?」
「個性なんてどうでもいいと言ってくれたと」
「あ、はい」
「そして君は、いつか手を離すときがくると言った。彼が君の手を。私個人的にはそんなことはないと思っているけれど」
「言いました」

 八木さんは瞳を伏せる。そして呟いた。

「その時が来るまで、彼を許容し続ける存在になってはくれないか」
「………難しいこと言いますね」
「私が彼に、何を言っても彼の心には響かない。彼は頑固な男だから」
「蚊帳の外であるわたしが、彼の心に寄り添えると?何かを響かせることができると?」

 八木さんは微笑む。

「できるよ。君ならできる」
「根拠は?」

 八木さんは片目を瞑る。見事なウインクだと思った。

「爆豪少年が君を見つめる目は――、酷く穏やかで、優しいからね」

(180924)