「見舞いに行こうぜ!また轟と三人で!」
「………切島くんって轟くんと仲いいの?」
「よくねーよ。いやさすがに爆豪の婚約者と二人で外出はちょっと爆豪に申し訳ないっつーか」
「もう婚約者じゃなくなるよ」
「え」
「わたしのこと思い出すことはないって。お医者さんに言われた」
「………明日暇か?」
「土曜だから暇だよ」
「じゃあ轟と三人で見舞いに行こう。どうせ爆豪と話し合ってもいねえだろ!?言いにくいなら俺が」

 切島くんは中々のお節介野郎である。そう思いながら通話を切り、ベッドに倒れ込む。自分の部屋を解約していなくてよかった。勝己くんが退院する前に、彼の部屋の自分の荷物を片付けて処分しないといけない。指輪を見つめる。この指輪も返せばいいのだろうか。捨てればいいのだろうか。わからない。

 あの人の隣で生きる決心をしたと、何があっても一緒にいる決心ができたと、思っていた。だけれどそれは間違いだったのかもしれない。わたしは、わたしのことを忘れてしまった彼と向き合うことを、恐れている。

 怖いのだ。あなたに許されなかったらと思うと、怖くて仕方がない。無個性だということを、あなたに拒まれたら、きっとわたしは一生立ち直れない。お前のせいで襲われたのだと詰られたら、きっと一生心に傷が残る。臆病な自分が嫌になる。あなたと向き合えない自分が。

 中指の指輪を引き抜こうと、力を入れる。外れない。指輪すら外せないのかと思うと、自分自身が嫌になる。ここまで無力なのかと。ここまで非力なのかと。

 彼がもしも、記憶を失くしても、もう一度わたしを選んでくれるとしたら。前向きすぎる考えに自嘲する。期待をするから落胆するのだ。選ばれるはずもない。わたしは、プロヒーローの隣に立てるような人間ではない。

 視界がにじむ。世界が暗くなる。懐かしい夢を見れたらいいなと、漠然と思った。
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「何か縮んだか?」
「えっ」
「そうか?」

 轟くんと切島くんと、連れ立って病室まで歩く。轟くんに縮んだと指摘され、わたしは首をかしげる。

「もしかしてちゃんと食べてねえとか!?寝れてねえとか!?」
「昨日は8時に寝たよ」
「早すぎるだろ」
「俺仕事してたわ」

 泣き疲れてそのまま寝たとは言えず、わたしは苦笑する。

「八木さん……オールマイトが夢に出てきた」
「マジかよ!?」
「羨ましい」

 轟くんもオールマイトファンなのだろうか。心から羨ましそうにわたしを見ている。

「爆豪!入るぞ!」

 切島くんはノックもせずにドアを開ける。病室には、またもやお見舞いのお客さんはいなかった。この人はこんなにも人望がないのだろうか。

「見舞い、誰もいねえな」
「轟くんたちは、誰から連絡が来たの?勝己くんが倒れたって」
「警察からの事情聴取で。直前に会ってたのが俺と切島だったからな」
「そうなんだ」

 わたしに連絡をくれたのも警察の人であった。警察の人はどこまで連絡をしたのだろうか。事務所の関係者もいないし、そもそも勝己くんのご両親に連絡はしているのだろうか。

「調子はどうだ!?」
「うるせーよ音量下げろクソ髪」
「病院食美味い?」
「不味いわ!!!!圧倒的に辛さが足りねえ!!!」
「早く退院できるといいな!名前ちゃんに美味いもん作ってもらえよ!」
「……誰だそれ」
「だから名前ちゃん」

 とんだお節介野郎である。切島くんはわたしの方を見る。勝己くんもつられるようにわたしを見ている。わたしはとりあえず練習した愛想笑いをする。

「……だから誰だよてめーは」
「思い出せよ!婚約者だろ!」
「おい、切島」
「……は?」

 轟くんの制止するような声は遅かった。婚約者という単語に、彼は動きを止める。

「………このモブが?」
「そんな言い方はねえだろ!」
「切島、もう帰るぞ」
「轟からも説明してやれよ!名前ちゃんは、お前の――、」

 彼の視線は、真直ぐわたしに注がれている。切島くんは良かれと思って行動を起こしてくれている。言い出せないわたしの代わりに。だけれど、だけれど。わたしはそんなに、真直ぐに、生きられないのだ。

「………お前の、個性は?」

 その言葉に、病室は静まり返る。いたって普通の質問だ。初対面の相手に名前を名乗った後、次に出るのはお互いの個性の話だ。至極当然だ。だけれど、わたしは――、

「切島くん、轟くん。ちょっと席、外してもらってもいい?」

 泣き出しそうな声が出るかと思った。予想に反して、わたしの声は落ち着いている。

 轟くんは切島くんの服を掴み、病室から出ていく。扉が完全に閉まったあと、彼は呟く。

「言えねーような個性なのか」

 彼はいつもの相手を煽るような口調で、そう呟いた。わたしは目を瞑り、今日の夢のことを思い出す。

 あの日の夢だ。八木さんと、パンケーキを食べに行った日のこと。無個性だから、恋人に引け目を感じている、だから、その手を離さなければならないと、告げたときのことだ。

「君は個性のことで、いろいろなことを我慢してきたんだろう。我慢を強いられてきたんだろう。だけれど我慢をしなくていい。縛られなくていい。」

 ――そうだ。わたしは我慢してきた。少数派の人間だから。生きにくいこの世の中で、上手く息が吸えないでいた。

「君の人生の主役は君だ。自由に生きればいい。引け目を感じる必要はない。堂々としていればいいんだ」

 わたしは息を吸う。大丈夫だ。呼吸はできる。わたしを忘れてしまった、大切な人を見つめる。そして呟いた。

「わたしは、個性がないよ」

 彼が息を呑んだ、気がした。当然だろう。自分が選んだ婚約者が、無個性なのだ。わたしはもう一度目を瞑り、夢の続きを思い出す。夢の中の八木さんは、穏やかな表情で続ける。

「私は君と爆豪少年のことを応援している。だけれど、君がもし――、もしもどうしても、彼と相いれないと思ってしまったら。その時は彼の手を離せばいい。その時に彼の手を離せばいい」

「自分の人生は自分のものだ。私は、引け目を感じながらも心から愛する人の隣で生きることが、必ずしも幸せだとは思わない」

「心から愛する人の隣で、上手く息を吸えなかったら、きっと辛いだろう。いくら幸福だとしても、いずれ苦しくなる時が来る」

「どんな人と添い遂げたいかじゃない。自分がどんな風に生きたいかだ。自分の生き方を、人生を、肯定してくれる人と生きるべきだ」

「命は限りあるものなのだから」

 わたしは、どんな風に生きたいのだろう。答えは出ない。個性はないし、指輪すら外せない。だけれど、こんなわたしでも、肯定してくれる人は現れるのだろうか。

「個性がないよ。無個性だよ。だから何?」
「………、」
「無個性の何の役にも立たないモブって思う?かわいそうなモブだって思う?」

 彼は何も言わない。じっとわたしを見つめている。

「そう思われてもいいよ。だけど、わたし、全然かわいそうじゃないから!」
「………」
「人生は楽しいし、無個性だから嫌な思いもたくさんしてきたけど、だけどすっごく幸せ。去年よりも今年の方が幸せだし、今よりも未来の方がずっとずっと幸せだと思う」

「だから」

「あなたがわたしを忘れても、大丈夫。離れても大丈夫。だからぜんぜん、わたしはかわいそうじゃない」

 息を吸う。大丈夫だ、泣いていない。この人がわたしを忘れても、わたしの人生は終わらない。これから先も、この人なしで生きていかないといけない。個性がないわたしを拒むあなたの隣に、かわいそうだから置いてほしいとは思わない。だから、

「今までありがとう。わたし、勝己くんのこと、」

 ――最後まで、何も言ってくれなかったな。そう思うと泣きそうになる。だめだ。まだ泣いてはいけない。泣くなら、病室を出て、誰もいないところで――、

 早くここから出ないといけない。泣いてしまう。そう思いドアノブを回そうとした、その時だった。

「え」

 回らない。わたしは指輪を外せないどころか、ドアすら開けられないのか。自分の非力さを呪ったのは一瞬だった。わたしの手は、誰かの手に強く掴まれている。

「……え、あの」
「逃がすか」
「は?」
「動いたらどうなるかわかってんだろうな」
「………」

 まるで敵に言う台詞である。わたしのことを敵だと思っているのだろうか。どうでもいいから早く帰りたい。泣く前に。そう思いわたしは、投げやりに返事をする。

「どうなるの?」
「………」
「爆破?」
「………」

 彼は舌打ちをして、掌を後ろに向ける。大きな音を立てて脅すつもりなのだろうか。そう思い爆破音に備えるが、音は鳴らない。

「俺は、お前の前では個性が使えねえ」
「………え」

 何度か言われたことのある台詞である。思わず振り向くと、至近距離で瞳が交わる。

「………っ、ん……っ、」

 唇が重なる。どういうことだ。わたしのことを忘れたのでは。意味が分からない。抵抗しようともがくと、煩いとでもいうかのように手首をひとまとめにされた。まるでお前が敵である。

「ちょ、……っ、はなして、」
「離すわけねえだろ」
「はあ!?いみわかんな、ん……っ、」

 角度を変えて口づけられた後、彼は酷く低い声で呟いた。

「………名前」

 意味が分からない。わたしのことを忘れたのでは。そう詰ろうと思った。だけれどできなかった。代わりにわたしの喉からは、酷く甘えるような、弱弱しい声が出た。

「かつき、くん」

(180205)