「最近浮いた話はないのかい?オジサンに聞かせてくれよ」

 ――懐かしい夢を見ている。夢の中のわたしは、目の前の平和の象徴に微笑みかけている。学生時代は、八木さんに恋愛相談をすることが多かった。彼もわたしのそういった話を聞きたがっていたし、わたしも客観的な大人の意見を求めていた。

「いつか、きちんと、彼の手を離してあげないとって、思います」
「?」
「爆豪くんには、もっといい人がいるから。もっときれいで、可愛くて、性格もよくて、尽くしてくれる、きちんとした個性を持ってる子が」
「………それは爆豪少年には言わない方がいい」
「言いませんよ」

「いつか手を離すときが来るまで」

 高校生の頃のわたしの絶望的な言葉に、平和の象徴は苦笑している。

「君は――、」

 彼はその後に、何て言ったんだっけ。何か大切なことを言っていた気がする。だけれど、思い出せない。

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「………はい、もしもし」

 騒がしい機械音で起きることを強いられた脳は、上手く働かない。寝起きだと丸わかりの声色だろう。深夜に電話を三回も鳴らす非常識な人間は誰だ。

「………はい、そうですが、………え?」

 聞き覚えのない人の声が、わたしのフルネームを唱える。当たっているので同意すると、その人は焦ったような声色でわたしを絶望に突き落とした。

「勝己くんが、倒れた?」

 喉がからからに乾く。時計を見る。確かに、いつもはとっくに帰ってきている時間帯である。帰りを待たずに寝ているが、帰ってくる時間は把握している。泊まりだと告げられていないのに、連絡もないのに、こんなにも遅い時間に帰ってこないのは、確かに非常事態だ。

 通話はいつの間にか切れていた。わたしはそのまま、タクシー会社に電話をする。告げられた病院の名前を復唱する。勝己くんが、倒れた。いま、病院にいる。その事実に、上手く頭が働かない。寝起きだからじゃない。身体が震える。

 震えていても、動揺しきっていても、案外身体は動くらしい。わたしは身支度を整え、到着したタクシーに乗り込んだ。

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「こっちだ!」
「切島くん!と、……轟くん?」
「初めまして」
「……初めまして」

 指定された病院に着くと、受付で二人のプロヒーローが待っていた。彼の同期であるその二人がいるということは、同じ仕事だったのだろうか。その時に何かがあったのだろうか。初めて言葉を交わす轟くんに挨拶をし、病室へ向かう。

「一体、何が?勝己くんは、今は?」
「今は意識はないが、命に別状はないそうだ」
「……よかった」

 命に別状はないと聞いて、ほっとする。わたしは口を開く。

「意識がないっていうのは?」
「個性にやられた」
「敵の?」
「いや、敵じゃない」
「ちょっと、轟、それは」
「こういうのははっきり言った方がいいんじゃねーか」
「だけど」
「爆豪の婚約者だろ。ヒーローを身内に持つなら、それくらいの覚悟はあるだろ」

 轟くんは淡々と呟く。切島くんはおろおろとしている。わたしは呟いた。

「はっきり言ってください」

 切島くんは眉間に皺を寄せる。轟くんは、立ち止まり呟いた。

「爆豪はジギタリスの被害者の家族にやられた」
「………え、」
「俺と切島と仕事を終えて別れた後に、個性を食らってここに運ばれた」
「………どういう、」
「犯人は捕まり、今は取り調べを受けている。まあ、私怨だろうな。よくあることだ」

 轟くんは真直ぐわたしを見ている。私怨?敵に恨まれるならともかく、被害者の家族に?加害者を捕まえたヒーローなのに?混乱してるわたしを見て、轟くんは続ける。

「他人の家族は救えなかったのに、自分の婚約者は救えたのか、だと」
「!」
「逆恨みだ」
「気にすることじゃねえよ!そういうのはよくあることだって聞くし、」

 切島くんは焦ったようにフォローを入れてくれた。喉が渇く。足が竦む。助かったわたしと、助からなかった誰か。助からなかった誰かの家族は、彼を恨んでいる。家族を助けられなかった、彼を。

「その、個性は?」

 震える声で、呟く。起こってしまった過程を吟味しても仕方ない、過去は変えられないのだ。彼はどんな個性を被ったのだろうか。

「犯人は酷く取り乱していて、個性について問うても何も言わないそうだ」
「……、」
「ただ、個性届には洗脳と。詳しいことはまだわからない」
「洗脳」
「洗脳にも色んなタイプがいるからよ、そんなに深刻に考えなくても――、」
「今は警察が、自白系の個性を持つヒーローか、個性を把握できるようなヒーローを探している最中らしい。焦らなくてもいずれわかるだろ」
「………」

 轟くんは落ち着いている。それが救いだと思った。淡々と説明された方が、こちらも冷静になれる。わたしは震える手で、病室のドアを開ける。

「………勝己くん?」

 わたしの婚約者は眠っていた。目が覚める頃には、その個性に拠って齎された何かは、解けているのだろうか。もう一度、名前を呼ぼうかと思った。だけれど、呼べなかった。呼んでしまったら、きっと泣いてしまう。

(180205)