「今日はお肉の気分だなあ」
「いつも肉だなてめェは」
「この間の熟成肉が美味しかったお店行こうよ。イチボとか食べたい」
「チッ」

 いつか、この手を離してあげないといけない。大好きだから、この人の手を。

 そう思ってから月日はだいぶ流れた。だけれどわたしはまだ、未練がましくこの人の手を、離せないでいる。

「仕事はどう?忙しい?」
「別に普通」
「そっかーわたしは今週はね」

 爆豪勝己くんとの付き合いは学生時代に遡る。お付き合いするようになってから、間もなく二桁の月日を迎える。時の流れは恐ろしく、たった一人とここまで長くお付き合いができるという点にもわたしは驚くべきなのだろう。

「聞いてる?」
「聞いてる」
「聞いてないでしょ」

 喧嘩をすることもある。思いやりのなさに絶望することも。意思疎通が図れなくて泣くことも。許せないこともある。だけれど、最終的には許してしまう。わたしはわたしなりに、この人を大切にしているつもりだ。

「勝己くん」
「あ?」
「おすすめイチボだって。食べたい。あとアヒージョも」
「好きなの食えばいいだろーが」
「やった。ありがとう」

 食べたいものを提案して、断られたことはない。欲しいと強請ったものに対して、拒まれたことはない。この人は十分すぎるくらいにわたしを大切にしてくれている。個性がないわたしを、酷く大切に扱ってくれている。とても酷く。

「お酒飲むのも久しぶりだなあ」
「遠慮はねえのか」
「運転ありがとうございます」
「誠意が足りねえ」
「代行頼めばいいじゃん。勝己くんも飲もうよ」
「別にいい」
「えー」

 シャンパングラスを傾ける。麻痺してしまいそうだ、と思う。この人は十分すぎるくらいにわたしを大切にしてくれている。数年間この人の手によって甘やかされたわたしは、きっと他の人のところへは行けないのかもしれない。そう思ってしまう。

「何か今日は変な顔してるねえ」
「あ?もう一回言ってみろ」
「何かあった?」

 今日はいつにもまして口数が少ないような気がする。そう思い尋ねるが、彼は舌打ちをするばかりで質問には答えない。仕事で何かイレギュラーなことでもあったのだろうか。そう思いながらわたしはグラスを傾ける。

「名前」
「うん?」

 首を傾げて目を合わせると、彼は少しだけ言い淀んだ。珍しい。そう思った瞬間に、何を言われるのか気付いてしまった。わたしは瞳を伏せる。

 ずっと、この人の手を離してあげなければと思っていた。ずっと。この人が、個性がないわたしを許容してくれたあの日から。だけれどどうしても、この手を離すことができなかった。幸せだったからだ。いつか終わりが来るとわかっていたとしても。

 この人が好きだ。堪らなく好きだ。だから、わたしはこの手を離してあげないといけない。大好きだから。

「お前は、俺と、将来――、」

 わたしは目を瞑る。そして何てこともない口調を装い、呟く。漸くその日が来たのだ。彼の手を離さなければならない、その日が。

「将来?結婚ってことでしょ?わたしと勝己くんが?ないでしょ」

(170830)