腸が煮えて仕方がない。名前の留守電を聞いてからずっとだ。憤死してもおかしくはない程度に頭に血が昇りっぱなしである。GPSで苛立ちの原因の位置を確認すると、数時間前から動いていない。舌打ちをして電話を掛けるが、相変わらず繋がらない。場所が場所なだけに、きっと彼女の安否に問題はないだろう。目的地まで車を飛ばす。一応自分の職業が職業のため、捕まらない程度の速度で。念のために彼女の脈拍を確認するが、乱れてはいない。その事実に酷く安堵した。先日のクレイジーサイコ敵事件の時程は窮地に立たされてはいないのだろう。

「名前!!」

 乱暴にGPSが示す場所に押し入ると、目を丸くした目的の女と、名前は忘れたが顔を見るだけで血圧が上がるような憎たらしい男と、事情聴取の係をしているであろう刑事が俺を見つめた。

「勝己くん!」
「ノックもせずに入るなんて礼儀知らずにも程があるよね。君、いまいくつだっけ?ああ、答えなくていいよ、僕と同い年だったか。それなのにノックの一つもできないなんて」
「お疲れ様です!」

 刑事は俺の顔を見て敬礼をした。そのまま目的の女を見つめる。怪我はなさそうであるし、顔色も悪くない。俺の表情を見て名前は呟いた。

「元気だよ。変なこと言ってごめんね」
「………」

 人目もはばからずに抱きしめようかと一瞬思ったが、そんなことができるはずもない。いまだに嫌味を言い続ける男を無視し、刑事を見ると慌てたように口を開いた。

「もう事情聴取は終わりましたので!」
「帰っても大丈夫ですか?」
「ご協力ありがとうございます!」

 警察関係者に顔がきくというのはヒーローであることのメリットの一つだ。名前は刑事に頭を下げ、まだ口を開き続ける男を見つめた。

「物間くん、助けてくれてありがとう」
「君のためじゃない。僕は職務を全うしただけだ。……だけどそうだな、君の隣の男には頭を下げてもらいたいかな」
「は?」
「え」

 物間と呼ばれたその男は、俺を見てまるで敵のように意地の悪い表情を浮かべた。

「君の恋人を助けたんだ。僕に頭を下げるべきじゃないか?」
「あァ!?てめェもヒーローだろうが」
「立場をわかってないようだね。今の君は、彼女を助けたヒーローじゃない。彼女を助けたヒーローは僕だ。そのヒーローに、感謝をするのが普通じゃない?」
「物間くん」

 名前は仲裁に入るように間に立つ。それが非常に気に入らない。宥めるような声色も、普段は俺に向けられるものだ。名前の腕を引き、彼女の身体を後ろに隠すようにすると目の前の男は眉間に皺を寄せ、瞳の色を濃くする。その男が口を開く前に、望む言葉をくれてやった。

「妻を助けてくださってどうもありがとうございました」
「………なっ、」

 酷く丁寧に望む言葉を与えてやると、その男は動揺したらしい。その様子を見て俺は確信した。この男は、多少なりとも名前に気があるらしい。二の句が継げぬ男を無視して、名前の腕を引き部屋から出る。名前は振り返り呟いた。

「ありがとね!助かりました!」

 俺は心の広い男であるので、社交辞令をかけるくらいは許してやる。俺が地方から留守電を聞いて飛んで帰ってきたというのにも関わらず、別の男に礼を言うことくらいは許容範囲だ。舌打ちをすると、名前は俺の機嫌をとるように腕を絡めた。

「怒ってる?」
「あ?ンでだよ」
「何となく」
「別に」
「あとでちゃんと話すからね」
「………」

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「仕事中に知らない女の子に呼び出されて、勝己くんと別れてこの街を出なければ容赦しないって言われてお別れの電話をしました」
「…………」

 簡潔にもほどがある。舌打ちをすると膝の上の名前は順を追って話し出した。俺の厄介なクレイジーサイコフォロワーに脅されただけかと思いきや、別の敵が絡んでいるらしい。全く運のない女である。

「それで物間くんが助けてくれて事情聴取も付き合ってくれて」
「………」
「物間くんが来なかったらちょっとまずいことになってたかなあとは思った」
「………」

 脅されていたというのにも関わらず、この女の脈拍が安定していたのはあの男が傍にいたからなのだろうか。そう思うと苛立って仕方がない。俺の表情が変わったことを悟ったのか、名前は呟いた。

「普通の女の子だったの」
「あ?」
「普通の女の子にナイフで脅されたの。勝己くんと別れてって。不思議と怖くなくて」
「………あ?」
「わたしがあなたの手を離してあげないとってずっと思ってたのは、あながち間違いじゃなかったんだなあって悟りの域に」
「はァ!?」

 この女は何を言っているのか。その問題はもう解決しただろーが。お前は俺と結婚するんじゃねえのか。そう思い睨みつけると、名前は慌てたようにつぶやいた。

「留守電聞いたでしょ?最後までちゃんと聞いた?」
「………聞いたけど気に入らねえ」
「だけどあの場で嫌だ別れないって言ったら絶対わたし切りつけられてたよ」
「うるせえ黙れ」
「ちょ、……っ、んっ、」

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「いやそれは成長だろ」
「は?」

 アホ面の言葉に俺は目を細める。名前の安否を気にしてわざわざ訪れたらしい暇なアホ面は呟いた。

「名前ちゃんがそんなこと言うなんて成長だろ。プロポーズした甲斐があったじゃねーか」
「………あ?」
「だって前の名前ちゃんなら、絶対そんなこと言わねーだろ。お前のことを思って身を引くだろ絶対。それで可愛いからたぶんすぐに自分も他の男を捕まえる」
「殺すぞ」
「冗談だって」

 確かにアホ面の言葉は一理ある、のかもしれない。そう思いながら俺はメッセージを再生する。最初の数分は苛立って仕方のない内容であるが。

「突然ですが、勝己くんと一緒にいられなくなりました。家も出ていきますし、もう会えなくなると思います。勝手なことを言ってごめんなさい。このメッセージを聞いた時、あなたはきっと怒ると思います。だけど、すぐにわたしのことなんて忘れると思います。きっと勝己くんには、わたしよりきれいで、可愛くて、性格もよくて尽くしてくれる、きちんとした個性を有した女の子が現れるから。だからわたしのことは忘れてください。探そうなんて思わないでください。きっと、あなたにとって良くないことが起こると思います。だから、だからどうかわたしのことを――」

 息を呑むような音が聞こえた後、震えたような声色で、今にも消え入りそうな声色で、言葉は続く。それを願ってやまないとでも言うかのような、悲痛さを孕んだ声色で。

「おねがい。たすけにきて」

(170819)