「オールマイト先生の香水、ブルガリですか?いい香りがするー」 「ん?ああ、よく気付いたね」 「オシャレですねーわたし、この香り好きです」 「ありがとう」 教師という職業に就いてまだ数か月であるが、生徒に香水を当てられたのは初めてだった。最近の高校生は鋭い。香水の銘柄まで当ててくるのか。そう思いながらも、褒められるのは悪い気はしない。 「ペンケース、イルビゾンテですね!オシャレ!」 「よく気付いたね」 「マークで気付きました!」 「革製品が好きでね。使い込むとまた質感が変わるのもいい」 「へー、やっぱりオールマイト先生レベルになるとペンケースも拘るんですね……」 「私レベル?」 「だってスーツだって素敵だし。キートンですよね?」 「………よくわかったね」 「経営科ですから。流行とかトレンドは抑えてるんで」 経営科というのは関係ない気がする。経営科も授業は受け持っているが、彼女のようなタイプは彼女以外にはいないように見受けられる。 「やっぱりエグゼクティブは違うなあ」 彼女はそう呟き、私に微笑む。年不相応の微笑み方である。大前提として彼女は生徒であるし、年齢だってかけ離れている。だからこのような所感を抱くことができるが、これが彼女と同じ年の男だったらまた違うだろう。ここまで垢抜けている女子高生は、この学校には彼女くらいしかいない。 「経営科のトップは違うね」 「いやいや。わたしがトップなのは運ですから」 「実力だろう?」 「いやいや。本当に嫌になりますよ」 彼女はそう呟く。 「どれだけ努力しても、記憶や勘に秀でた個性には劣りますから」 その言葉の棘を、表情の硬さを。私はもう少し注視すべきだったのだ。 ; 名字名前という女子は教師の間でも有名であった。入試も、入学後の試験も、彼女の成績は群を抜いていた。経営科というだけあり、テストはそれらしい問題が出る。彼女の解答はどれも経営者にふさわしい解答であったし、他の生徒とは一線を画していた。高校生らしからぬ、酷く現実的な解答を、なんてことはないとでもいうかのように彼女は導く。よく言えばリアリティにあふれている、悪く言えばひねくれている。さぞ捻くれた性格の持ち主かと思えば、彼女に接してみるとそんなことはない。 「あれっ爆豪くんだ」 「あァ!?」 「何食べてるの?うわ、真っ赤」 「激辛じゃなきゃ食った気がしねえ」 「お腹痛くなりそう」 「ンな柔じゃねーよ」 「さすが」 気性の荒い生徒にも、食堂で偶然会ったら親しみをもって声を掛ける。誰に対しても人当たりがいい。明るく素行もよく、教師からも可愛がられている。事実私も持ち物を褒められて嬉しいし、にこにこと交友的に微笑まれると可愛がりたくもなる。授業態度もまじめで、成績もいい。生徒として、彼女は満点に近い。 だから、意外だったのだ。そんな満点に近い優等生の名字名前が、捻くれた思考を持ち合わせているということが。 ; 雨の日は古傷が痛む。その日は特にそうだった。マッスルフォームで授業を終えた後、急な痛みに襲われた。思わずトゥルーフォームに戻ってしまう程度のその強度に、私は蹲る。 どうか、誰も来ないでくれ。ここが人通りの少ない場所でよかった。仮眠室の前で蹲っている私に、前方から影が差す。 「大丈夫ですか?」 見上げようと思った。だけれど首が動かない。その瞬間、私は見上げる必要がないことを悟った。私の前で膝を折ったのは、名字名前であった。 「ああ、ちょっと立ちくらみがね……」 自分でも酷い嘘だと思った。血を吐いて立ちくらみも何もないだろう。彼女は瞬きをした後、呟いた。 「誰か呼びましょうか?」 「い、いや!少し休憩すれば平気だ」 焦った様子の私に、彼女は怪訝そうに眉を顰める。そして呟いた。 「肩を貸しましょうか。仮眠室か保健室へ、」 「いや、大丈夫だ」 だから放っておいてくれ。彼女は私のその願いを悟ったように目を瞬かせる。一刻も早くここから立ち去ってくれ。トゥルーフォームを生徒に見られるわけにはいかない。その時だった。彼女が呟いたのは。 「ハンカチ、使ってください」 「ああ、ありがとう……?」 彼女はそう呟きハンカチを出した。私がそれに手を伸ばすと、彼女は自分の腕を私の掌から遠ざけた。そして目を瞬かせ、呟いたのだ。 「オールマイト?」 「………は、」 取り繕うべきだったのだ。だけれど遅かった。私の反応を見て、彼女は確信したのだろう。そのまま私の手にハンカチを押し付け、踵を返す。 「ま、待ってくれ!」 なぜ何も言わないのか。この秘密を、誰かに話すつもりではないだろうか。焦ったような私の声に、彼女はゆっくりと振り返った。 ; 「………どうして気付いた?」 「気付きますよ。キートンのスーツ着てたし」 「………」 彼女はペリエを傾けながら微笑む。相変わらず年不相応の微笑み方である。メインのオマール海老を見て、彼女は呟いた。 「美味しそう。イタリアン食べたかったんですよね」 「君のリクエストだろう。黙っていてほしかったら、美味しいものを食べさせろと」 「食事くらい可愛いものじゃないですか?」 彼女は微笑む。そして呟いた。 「本当は、見返りなんていらなかったんですけど」 「えっ」 「だけど………えーっと、何てお呼びすれば」 「………八木だ」 「八木さんが、脅迫してほしそうだったから」 「!」 オールマイトと呼ばれるわけにはいかない。今の私はトゥルーフォームであるし、何よりも生徒と個室のイタリアンで食事をしているところを、誰かにばれるのは大変まずい。 「というのは冗談で」 「ジョークか……」 「別に何もいりませんでした。何もしてほしいとも思わなかったし。だけど」 「だけど?」 「もしも今後、あなたの正体がばれたとして。その時、あなたは真っ先にわたしを疑いますよね」 「えっ」 「あの時の女子生徒が、きっと秘密を洩らしたんだと。無償の口約束なんて、あってないようなものですから」 「………」 彼女は人当たりのいい笑みを浮かべる。だけれど口に出している内容は、酷く冷めたものだった。 「だから脅しておけばいいかなって。わたしは美味しいものを食べさせてもらったし、約束は守りますよ。誰にも言いません。あなたにご馳走してもらった、負い目がありますから」 「………」 彼女は微笑む。高校生にしては、その理屈は酷くねじ曲がったものに聞こえる。 「本当は鞄とか靴が欲しかったんですけど」 「えっ」 「残るものはよくないかなって」 冷めきっている。最近の女子高生は、これくらいの温度なのだろうか。いや、彼女が特殊なはずだ。自分の教え子たちを思い返すが、彼女だけが一線を画している。 「君はすごいな。リアリティに溢れている」 「普通ですよ」 彼女はペリエに口をつける。普通ではない。元々、この高校には明るい未来や将来を胸に抱いた夢見がちな生徒が多い。ヒーロー科もそうであるし、サポート科や経営科もそうだ。誰もがトップを目指している。だけれど名字名前にはそれが見受けられない。私は呟く。 「君はなぜ、この学校に?」 「えー………内緒ですよ」 「ああ、約束しよう」 彼女は照れたように微笑む。その表情は、年相応だと思った。 「玉の輿に乗りたくて」 「………えっ」 直前に抱いた所感を撤回したい。 「経営科って、将来的に起業したいだとか、トップに立ちたいと思う自己顕示欲とプライドの塊ばかりじゃないですか」 「ま、まあそうだね」 「しかも雄英ですよ。天下の。選りすぐりのエリートたちがいるじゃないですか。学生時代から唾つけとこうと思って」 「…………いやまあ………そういうのも……なくはないと思うけど……」 何といえばいいのだろか。わからない。 「だけどまあ、難しいですけどね」 「えっ」 「自分より上の女なんて、男の人は嫌じゃないですか。わたしがトップだってわかったとき、結構風当たりが強くて」 「そうなの?」 「はい。何であいつがって。自分の方が勝ってるのにって。だから苦労しました」 「苦労?」 「結局今の時代でも、男の人って女の人にマメさを求めてるんですよね。だからまあ……煽てたりとか。細かい作業は率先してやったりだとか」 「………」 確かに、女性には細やかな作業を求めるというのは頷ける。 「最初はインテリ眼鏡ばっかりで嫌な奴ばっかりだなって思ってましたけど、褒めて伸ばす方式にしたら案外みんな可愛いなって」 「………」 確かに、男は単純なので、彼女のような女子に褒められたら嬉しいだろう。 「だいぶ良くなりましたけど、だけどやっぱり玉の輿は難しいですね。別の道を考えなきゃ」 「自分で起業すればいい」 「無理ですよ。わたしにはそんな才能も個性もありません」 彼女はそう呟いて、自嘲した。そして口を開く。 「八木さんは?」 「ん?」 「どうしてこの職業に?」 私は目を瞬かせる。 「………象徴が、必要だと思ったんだ」 「象徴?」 「ああ。私がそれに成り得ることで、平和は実現されると思った」 「………立派ですね」 名字名前は、瞳を伏せる。そして呟いた。 「だけど、残酷ですね」 「………残酷?」 「あなたがいなくなったことを考えると、ぞっとします」 「………、」 「象徴を失ったら、どうなるんでしょうか」 「そのために君たちがいる」 「………残酷ですね」 彼女は微笑む。酷く痛々しい笑みだと思った。 「暗い話はやめましょうか。ご飯が不味くなっちゃいます」 「それもそうだ」 「八木さん、彼女はいるんですか?」 「えっ」 「いいじゃないですか。あっ狙ってるわけじゃないですから!安心して!」 名字名前は、楽しそうに声を上げる。無邪気なその様子は、やはり年相応には見えない。 (170302) |