「洗脳系の個性?」
「確証はないけどね」

 拳藤の言葉に、僕は目を瞬かせる。最近はこのあたりの地区で、酷く犯罪が多発している。犯罪と言っても、派手な個性を有した敵によるものではない。個性に頼らない、敵ですらない、一般人が何かに唆されたように起こるような犯罪だ。

 万引きから、横領やインサイダー取引、殺人など。昨日まで凡庸に暮らしていた人間が、何かに取りつかれた様に急に犯罪を起こす。偶然かと思ったが、最近は特定の地域で多発している。そういった犯罪は、周りの地域の治安を悪くする。人から人に感染していくようなその悪意は、きっと諸悪の根源があるのだろう。それが我々ヒーローの見解であった。つまり。

 度重なる犯罪の裏側には、それを唆している諸悪の根源がいる。一人なのか複数なのか、わからない。きっと何か個性を用いて、人を誑かしているのだろう。その捜査に呼ばれたのが、僕であった。

 僕の個性は模倣だ。洗脳系の個性は、その個性の本質を掴むことは酷く難しい。個性というものは、そもそも当人しか理解できないものだ。口で説明できるような個性ならいい。世の中には、口では説明できない個性は山ほどある。個性を持ち得た当人が“説明”しないと、他人には到底理解できないような個性も。

 敵は個性を語らない。当然だ。個性の本質を語るということは、自分の弱点を口に出していることと同義なのだから。その“洗脳系の個性を持つと推測される敵”の個性も我々にはわからない。

 どうすればわかるのか?本質を見極めることができるのか?僕にとっては酷く容易な問題だ。触れればいい。触れてさえしまえば、僕は敵の個性を模倣することができる。模倣とはつまり、理解することと同義なのだから。

 捜査の段階で、犯人の近くにいる疑わしい人物に悟られないよう触れていく。僕にとっては、諜報のような活動も容易い。悟られぬように相手の個性を模倣することは簡単だった。だが、どれもはずれであった。

 犯罪が多発するようになったこの街の、加害者の交友関係を洗い出すが接点は見えてこない。怪しいと思われる人物は、すべて掌で触れたというのに。その時だった。とある女に触れたのは。

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「結局拳藤の個性は意味なかったな」
「……どういうこと?」
「手刀で一発でKO。敵が暴れる可能性を考えて、念のために模倣したんだよ。使わなかったけど」
「……そっか、コピーしないと物間くんの個性は意味がないもんね」
「コピーもできない君が言う?」

 路地裏で血走った目をした女にナイフを突きつけられていたのは、見知った顔であった。名字名前。爆豪勝己の恋人であり、自分が高校に入学したばかりの頃に興味を持った女である。

「パトロール中だったの?よかった、偶然物間くんが来てくれて」
「偶然じゃない。計算だよ」
「え?」
「ここ最近、この街で犯罪が多発してるだろ」
「……確かにニュースでよく見るような」
「洗脳系の個性を持つ敵の仕業だ」
「……じゃあこの子も?」
「その敵を漸く捕まえた。この女にも個性を使ったって白状したよ」

 その“諸悪の根源”である女が怪しいと気づいたのは、拳藤であった。その女はインサイダー取引で捕まった男と、横領で捕まった男の二人と交流があった。何の力もなさそうな、ただの頭の悪そうな女だというのが僕の所感であった。だが同性である拳藤の所感は違ったようである。

「こういう女が一番悪い」

 曖昧すぎる台詞である。半信半疑であったが、偶然を装いその女の個性を模倣した。触れた瞬間に気付いた。――これは、当たりであると。

 他人の悪意を増大させる、それがその敵の個性だ。その敵の個性を理解したところで、徹底的に張り込んだ。証拠がないのだ。個性を使う瞬間を抑えなければ、捕まえることはできない。敵の職場に潜入していた拳藤から連絡があったのは、1時間ほど前のことであった。

「それで?カツアゲでもされてた?」
「………きっとこの子、勝己くんのフォロワーだよ」
「は」

 伸びている女を見つめる。確かに、倒れている女のスマートフォンのケースは思い出すのも嫌なアイツを象徴したそれである。

「もう金輪際近づくなって言われた。別れてこの街から出て行けって」
「ヒーローがヒーローなら、フォロワーの質も悪いんだね」
「こら」

 名字名前は苦笑する。

「無個性が勝己くんの恋人なんて許せないんだって。まあ気持ちはわからなくもない」

 ――わかるはずないだろ。そう思ったが、口に出すほど愚かではなかった。名字名前にその気持ちはわからないだろう。彼女は何よりも無個性であるし、昔からずっと爆豪勝己の隣にいるのだ。

「だからあんまり怖くなかった。感覚が麻痺してるのかな」

 名字名前の感覚が麻痺するのもおかしくはない。この女は数か月前に、世間を騒がせた無個性狩りに命を狙われている。それに比べれば今回の敵など小物だろう。 

「だけど何でわたしが無個性って知ってたのかな」

 知っているに決まっている。そう思ったが、僕は口にしない。爆豪勝己の恋人が無個性狩りジギタリスに狙われたことを、この業界で知らない人間は殆どいない。――つまり、爆豪勝己の恋人が無個性であるということは、周知の事実となっている。

「まあ、どうでもいいか」
「……ところでこれから事情聴取があると思うけど」
「あ、うん。そうだよね。行く行く」

 名字名前は微笑む。その表情は、高校時代に自分が興味を持った頃と違わない。

――「君、無個性なんだって?」

 初対面にしては酷く失礼な台詞だ。個性を持たぬ彼女を隣に置けば、一生自分の個性に飽きることはない。あの時は、本当にそう思っていたのだ。

「物間くん」
「何?」

 名字名前は呟く。そして薄く微笑んだ。

「わたしと付き合わなくてよかったね」
「え?」
「だってわたしの隣にいたら、物間くんはずっと無個性だよ」

 ヒーローになった今、その言葉は酷く魅力的に僕の耳に響いた。だが、僕は何でもないふりをして笑う。

「そうだね、それは苦痛だ」

 君の隣で無個性ということは、君の隣ではただの男でいられるということと、同義だ。そう思いながらも、僕がその言葉を口に出すことはない。一生。

(170815)