腹立たしいが、この女にとって今回の一件がトラウマにならぬよう、死ぬ気で尽くしてやった。朝からこの女の好む甘ったるいフレンチトーストやらスフレパンケーキやらを焼き上げ、仕事は暫くは地方への出張がないよう取り計らった。事務所の人間が、恋人を敵に殺されかけた自分に対して酷く同情的だったことを上手く利用した結果である。夜はなるべく日付が変わる前に帰り、この女の好む“前戯に満たぬじゃれあい”を行ってやった。その後に盛り上がり抱くこともあれば、そのまま抱きすくめて眠ることもあった。甘ったるいままごとのようであるが、自分の努力の甲斐あってか、目の前の女は随分早くに社会復帰を決めたようであった。

「明日から仕事へ行きます」
「つーかいつまで続けんだよ、籍入れたら辞めるんだろ」
「さすがにプロヒーローの奥さんになったら辞めようとは思うけど、とりあえず今年度は」
「はァ!?今年度!?舐めてんのか」
「だってわたしだって好きにお金使いたいもん。今まで通りいい化粧品使いたいし、服も靴も欲しいし」
「てめえの強欲さは底なしだなマジで……金がかかる女だなァ……」
「まあこれからのことはまだ決まってないじゃん?とりあえず親への挨拶?」

 先日自分が購入してきた分厚い結婚情報誌を、名前はぺらぺらとめくっている。こういうのは普通女が買うんだろーが!そう思いながら歯ぎしりしながらアマゾンで購入したことを思い出す。さすがに書店で買うのはナシだ。

「そういえばわたしの両親、今週こっち来るよ」
「はァ!?」
「娘の安否を確認しに。勝己くんが助けてくれたことも知ってるし、お礼がしたいって」
「………早く言え!!」

 彼女の両親に会ったことはない。彼女は高校の頃から親元を離れている。紹介をされたこともなかった。腹立たしいが、この女は自分との将来を全く考えていなかったのだ。当然と言えば当然である。

「電話でプロヒーローと結婚するって言った時、すごく心配されたの」
「あ?」
「個性のこと。わたしもかなり個性のことを引きずってるけど、両親はもっと引きずってるから」
「………あ゛?」
「個性がある子に産んであげられなくてごめんねって、何度も謝られてるから。だから勝己くんにも何か言ってくるかも」
「………反対される可能性があるってことか?」
「違うよ、逆だよ」
「逆?」
「わたしが嫌になったら言ってね。早急に。ツヴァイもう辞めちゃったから、ペアーズでも始めることにするわ」
「………」

 名前は冗談のように笑うが、冗談には聞こえない。いや、冗談でも腹が立つ。目の前の首筋に噛みついてやると、驚いたような声が響く。

「ん……っ、冗談だってば、」
「うるせえ」
「ま、待って、明日から仕事だから、だめ、」
「関係ねえだろ」

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「爆豪勝己と申します、初めまして」

 世間では俺の印象は悪い。ヒールにも程があることを知っている。だが、敬語くらい使えるに決まっている。舐めんな。そう思いながら彼女の両親に手土産を渡すと、逆に土産を渡された。

「この度は娘を救って頂いてありがとうございます」
「爆豪さんがいなければ、この子はどうなっていたことか……」
「結婚するから助けてくれるのは当たり前だよね」

 自分の気持ちを代弁するように目の前の女は口を開く。その通りである。自分の物を守るのは当然だ。感謝されるまでもない。

「この子は何もできない子ですが……」
「人気ヒーローである爆豪さんを支えられるかどうか」
「自分がある程度生活力があると思っていますので」
「勝己くんの方がご飯作るの上手なんだよ」

 嘘でも普段自分が作っていると言えねーのか。彼女の両親は俺に作らせていることに対して、自分の娘に小言を言っている。まあ別に、料理くらいは大した手間でもない。俺にできないことはないのだ。この女もいつも満足そうに食っている。

「名前、ちょっとお手洗いに案内して」
「え?あ、うん」

 彼女の母親は、彼女と連れ立って部屋を出ていく。彼女の自宅で行われている今日の会は、間もなくお開きといったところだろう。彼女の母親と彼女が部屋から出ていった様子を見て、彼女の父親は口を開いた。

「………親として、このような確認をするのは間違いかもしれませんが」
「………確認?」
「うちの娘でいいのでしょうか。娘の個性のことは、ご存知でしょうか」

 こういうことか、そう思った。確かに、親も彼女の“個性”について拗らせているらしい。

「知っています。関係ないと思っています」
「ですが、爆豪さんはヒーローでしょう。この先、娘が足手まといになるかもしれない。授かったこどもが、あの子と同じかもしれない」

 またこのやり取りか。そう思うが、彼女の父親だ。ここで印象を悪くするわけにもいかない。俺は何百回もあの女に口にした言葉を、彼女の父親に発する。

「関係ありません。名前さんに個性があっても、なくても。一生守り続けるつもりです」

 「わたし、爆豪くんに賭けたの」そう言われたあの日を思い出す。あの女には一生言わないが、あの日から、俺はあの女に個性が使えない。俺はあの女に勝てない。自分とは比べ物にならないくらい弱い、個性を持たない恋人に。

 あの女に勝てないのは自分だけでいい。この先ずっと、俺だけでいいのだ。だから、代わりに一生守ってやる。その意思を彼女の父親は汲んだらしい。俺の言葉を聞き、深々と頭を下げた。

「娘を貰ってくれてありがとう」
「………いえ」

 感謝される意味が分からない。とっくの昔に、名字名前は俺の物だ。今更何を言っているのか。そう思っていると、彼女と母親が帰ってきた。

「爆豪さんのところへ挨拶は?」
「何回かご両親にはお会いしてるの」
「失礼のないようにね」

 失礼どころか、俺の両親はこの女に首ったけである。俺が一人で帰るよりも、名前を連れて帰る方が喜ぶくらいだ。まあ確かに、俺は話すタイプではないし、この女がへらへらと美味そうに母親のメシを食う姿は悪くない。両親の話に楽しそうに相槌を打つ姿も、悪くない。

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 挨拶は恙無く終わったのだろう。名前は首を回している俺を見て笑う。

「疲れたね、緊張した?」
「するわけねーだろ余裕だわ」
「勝己くんの敬語、新鮮だった」
「さすがにお前の親にタメ口で話すわけにはいかねーだろ」
「そうだねえ印象は悪くなっちゃうね」
「次の休みは、俺の実家に行くか」
「そうだねー勝己くんのパパとママに会うの楽しみー」
「楽しみにするほどのことでもねえだろ」
「二人とも似てるじゃん。勝己くんに」
「似てねーよ!」
「似てるよ。だから楽しみ」

 名前は穏やかに微笑む。その顔を見ると、どうしても欲しくなった。この女は自分の物だ。それなのに、欲しくなるなんて馬鹿げている。そう思うが、欲しいと思ってしまったものは仕方がない。

「帰るぞ」
「帰ってるじゃん」
「早くこの部屋は引き払え。無駄金だろ」
「えーもう一緒に住むの?」
「俺は気が短いんだよ」
「そうだった。パパは気が長そうなのにね」
「………」
「ママはせっかちそうだよね」
「………」
「性格はやっぱりママに似てるね」
「………」
(170624)