「無個性狩り?」
「ジギタリスっつーんだと」
「だせー名前だな」

 爆豪勝己は目の前の椅子に座る上鳴電気の言葉を聞き、鼻で笑う。

「何でもヒーロー殺しステインをリスペクトしてるらしい」
「雑魚感が半端ねーな。ヒーローじゃなくて結局は弱い無個性を狙ってんだろ」
「何も弱いやつを憂さ晴らしに狙ってるわけじゃねーって。確固たる信念があるらしいぜ」
「それでも小物は小物だろ」
「手口が巧妙らしい。この辺りで何件か無個性の一般人を狙って“無個性狩り”を起こしてるだろ」

 “無個性狩り”という言葉は爆豪勝己も聞いたことがあった。ここ最近、世間を騒がせマスコミが好き勝手煽っているニュースである。数週間前からこのあたりの地区で、“無個性”の人間を狙った事件が相次いでいた。

 最初はただの殺人事件かと思いきや、現場には「Digitalis」という文字と、道化師が描かれているカードが残されていた。ジギタリス。猛毒を持つ植物の名前である。日本ではあまり馴染みはないが、西洋では不吉な植物というイメージを持たれているそれは、生贄の儀式が行われる夏に花を咲かせるらしい。その猛毒の植物の名前を名乗る人物が“無個性”を根絶やしにするとカードに表明したのは、5人目の被害者が出た時であった。

「証拠も何も残さない。現場も酷く綺麗だそうだ。捜査は難航してるらしい」
「ただのクレイジーサイコ野郎ではないってことか」
「いかれてることに間違いはねえと思うけど、冷静さも欠いていない。打算的で計算高いんだろうよ」
「で?何しに来たんだよアホ面」

 爆豪勝己は、その答えを知っている。どうして旧友が、わざわざ自分の事務所を訪れたのか。上鳴電気は言いづらそうに口を開いた。

「………お前、あの子とまだ続いてんだろ?」
「あ?」
「名前ちゃん。あの子、無個性だろ」

 爆豪勝己が学生時代から付き合っている彼女が無個性だということは、彼の同期の殆どは知っている。上鳴電気は余計な世話を焼いていると思ったが、彼と彼女が心配だから忠告をするためにこの事務所に訪れたのであった。

「暫く仕事休ませてる」
「えっマジで?」
「四六時中傍にいて守ってやれるわけじゃねーからな」

 俺にも仕事があると呟き、爆豪勝己はスマートフォンを取り出し目を細める。上鳴電気は、見るつもりはなかったがその画面を目にしてしまった。

「………お前、彼女に発信機つけてんの?」
「あ?悪いかよ」
「それって名前ちゃん知ってんの?」
「………」
「オイ!言ってやれよ!やべーだろそれ!」
「何かあってからだと遅いだろーが」
「いやまあ確かに無個性狩りは心配だけどよ!だけどお前さあ!」

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「勝己くんおかえりー!」
「………」
「ただいまは?」
「………ただいま」

 ぱたぱたと玄関まで甲斐甲斐しく出迎えに来た名字名前の頭を撫で、爆豪勝己はキッチンへと足を進める。

「卵買ってきてくれた?」
「あー」
「ありがとう!」

 爆豪勝己はエコバッグを名字名前に手渡す。仕事帰りに食材の買い物に出向くのは大層だるかったが、この女を無暗に外出させるよりは百倍マシだというのが、プロヒーローの見解であった。

「お買い物くらいはだめ?」
「却下」
「仕事は」
「早く辞めろって言ってんだろ。どうせ専業主婦になっても尽くさねーんだから努力を見せろ」
「どうせ尽くさないなら働いた方がマシじゃない?」
「尽くす努力を見せろって言ってんだよ!!」

 名字名前はつまらなさそうな表情を浮かべる。無個性狩りという何とも恐ろしい敵が世を騒がせるようになってから、禄に外出もしていないのだ。禄にではない。敵が無個性を狙っていると発覚したその日に、爆豪勝己は自分の女を職場に迎えに行き、滅茶苦茶な理論で彼女の上司から有休をもぎ取った。それからは有無を言わさず自宅へ押し込み、外出を禁じた。些か強引且つ過保護だと思いながらも、名字名前はそれに応じている。今の生活は不自由であり最高に暇であるが、自分が犠牲者になるリスクを考えると我慢せざるを得ない。強固なセキュリティを誇るこの部屋にいれば、とりあえずは安心だ。

「不服そうだな」
「………」
「今日のメシは」
「チキンカレー」

 外出を禁じられ、することと言えば家事しかない。名字名前はぽつりと呟く。

「尽くしてるよ」
「あ?」
「勝己くんに捨てられないように尽くしてるよ」

 昼間に一人で部屋にいると、余計なことを考えてしまう。名字名前の悩みはそれだった。自分が些細な個性を有していたら、このように彼に迷惑をかけなかったのに。気を遣わせなくて済んだのに。ワイドショーをつければ、無個性狩りジギタリスの話題ばかりだ。それを見るたびに情けなくて悲しくてどうしようもなくなる。親や友人から安否を気遣う連絡が届く。それはとても嬉しいけれど、とても不安な気持ちにさせられた。

 爆豪勝己は、弱弱しい声を聞いて目を見開く。確かに現在は家事は名字名前が担っている。だが、どちらがどちらにより尽くしているかというと、言うまでもない。それを爆豪勝己も自覚している。だが、こうも弱弱しく「尽くしている」と言われると何か言えるはずがない。恋愛は惚れた方が負けである。

「明日、朝早い?」
「………普通」

 名字名前は、エコバッグを机に置き、過保護な恋人の胸に頬を寄せる。そして呟いた。

「お風呂、一緒に入ってもいい?」

 名字名前は過保護な恋人が喉をごくりと鳴らした音を聞き、そっと目を閉じた。

(170619)