爆豪勝己は目を見開き、口を開けていた。個室のダイニングバーだからできる表情である。衆人環視の場で、プロヒーローがしていいような表情ではない。

「将来?結婚ってことでしょ?わたしと勝己くんが?ないでしょ」

 プロヒーローをいとも簡単に地獄へ突き落とした女は、海老のアヒージョにバケットを浸しながら呟く。

「あーーアンチョビ効いてて美味しいー!」
「……ろ」
「え?聞こえないけど」

 樽生スパークリングワインを煽りながら、女は目を細めて呟く。ブチっと、不穏な音がしたような気がした。

「もう一回言ってみろ!!!ぶっ殺すぞ!!!」
「えっ…アンチョビ効いてて…」
「ちげーーよ!!ないってどういうことだ!!」

 暴れ始めた目の前のプロヒーローに臆することなく、女は熟成肉に手を伸ばす。今日のおすすめはイチボらしい。

「はーーお肉も美味しい。連れて来てくれてありがとう」
「聞けよ!!!」

 女はシャンパングラスにもう一度口をつけたあと、呟いた。

「だって結婚でしょ?わたしと?勝己くんが?ないでしょ」
「はあ!?!?」
「まあまあ、お肉でも食べて落ち着いて」

 女は強引にプロヒーローの口に肉を突っ込む。プロヒーローはたいして咀嚼をすることもなく飲み込み、落ち着くことなく呟いた。

「俺がお前に!!!いくら遣ったと思ったんだ!!!」
「えー…高額納税者がみみっちいなあ」
「っせーーーよ!!!!」

 女は中指に嵌っているティファニーの指輪を撫でる。指輪だけじゃない。鞄、靴、服、アクセサリー、計算するのも億劫なほど、目の前のプロヒーローは女に貢いでいた。

「結婚するってことは子どもを作るってことでしょ。わたしの個性知ってるでしょ。遺伝したらどうするの」

 女はナイフとフォークを置き、なんてことはないとでもいうように呟いた。個性の話になると女はいつもこの表情をすると、プロヒーローはとっくの昔から知っていた。目の前の女がどうしようもなく、“個性”というものに引け目を感じているということも。

 とっくの昔から知っている。彼女を隣に置くと決めた、あの日から。


 時はプロヒーローがヒーローの卵であった頃に遡る。彼が高校生であった頃、初めての体育祭を次の日に控え、クラスメイトが浮かれきっている頃であった。

「爆豪勝己くん」
「あ?」

 女ーーーいや、少女は渡り廊下で、楽しげに彼に声を掛ける。初対面にしては、やけに馴れ馴れしいと思った。彼は自分がとっつきにくい存在であると自覚している。

「明日の体育祭、わたし、爆豪くんに賭けたの」
「は?」

 わけのわからないことを言う初対面の女に、爆豪勝己は思わず指をひくつかせた。自分の機嫌を損ねたら爆破してやろうかと思ったのだ。だけれどその指が、彼の掌が、熱を持つことはなかった。

「だから頑張ってね。一位になってね。わたしのために」

 少女は笑う。高校生にしては落ち着いた深い笑みに、爆豪勝己は思わず息を飲む。彼は一生認めないだろうが、確かにその時、彼は彼女に見惚れていた。

「わかりきったこと言ってんじゃねーーーーよ!!俺が勝つ!!!別にお前のためでもねえ!!端役が!!!」

 数秒沈黙を守ったあと、爆豪勝己は戦慄いた。

「しかも勝手に人を賭けの対象にしてんじゃねーよ!!殺すぞ!!」

 物騒な物言いにも動じることなく、少女は呟く。

「そうは言われても、レポート書かないといけないし」
「は?」
「一位を予想して考察して提出して、結果がわかったらまた講評して提出。イベント毎の前後は忙しいんだよねー」
「…は?」

 少女は微笑む。そして呟いた。

「わたし、経営科なの。だからわたしの成績のためにも!勝ってね!応援してる!」

 少女の言葉に、爆豪勝己は少なく見積もって100個以上の暴言が頭に沸いた。どうしてお前のために。成績のためとはどう言うことだ。他にも口に出せないような文句がたくさん思いついたが、そのどれも、言葉にすることができなかった。

 代わりに力なく、爆豪勝己の口からは別の言葉が放たれる。

「…誰だてめーは」
「だから経営科だよ」
「名前を聞いたんだよ!!!」

 少女は目を瞬かせる。そして呟いた。

「名字名前です」

 それが―――後にプロポーズすらさせてもらえない女と、爆豪勝己の出会いであった。
(170225)