「僕の出身は雄英でね」 「そうなんですね」 「普通科だけれど、ヒーローに指導してもらったおかげか、正義感はある方だと思うんだ」 「素敵ですね」 相槌のバリエーションは死ぬほど持っている。それがわたしの些細な自慢である。 取引先の人間のくだらない自慢を聞きながら、やはり昨日は勝己くんの家に泊まらなければよかったと、後悔する。何となく、恋人の家から出社するのは罪悪感を伴ってしまう。 「名字さんの出身は?」 「わたしですか?ご存知ないと思いますよ」 同じ学校であるとは、口が裂けても言えない。世の中の大抵の男の人は、女の人に立てられることを望んでいる。対等な関係など望んでいない。そもそも学歴を問うところからマナーに欠けている。そう考えながら、わたしは愛想笑いを浮かべる。 雄英高校の経営科を出て、大学へ進学した。だけれどわたしは経営者の道は選ばなかった。今はただのしがない事務員である。 経営者として名を馳せている同期を、うらやましく思う気持ちはある。だけれど、わたしは経営者には向いていない。人に使われる方がきっと向いている。そう思いながら、上司との商談の終えたインテリ眼鏡をエレベーターまでお見送りした瞬間だった。 「え?」 「ん?」 サイレンのような音が、その場に鳴り響く。 「火事です。これは訓練ではありません。最上階で、火災が発生しました。すぐに逃げてください」 このビルにアナウンスが響くのを、訓練以外で初めて聞いた。どうでもいいことを考えていると、隣のインテリ眼鏡はわたしの腕を引く。 「逃げよう、名字さん!」 「あ、はい」 「エレベーターは危険だから、階段を使って、」 「か、階段……いやそんなことを言ってる場合じゃないですよね!」 フロア内はざわついている。非常階段へ向かうと、人でごった返していた。最上階の様子はわからないが、火災は酷いもののようである。 「煙がすごいことになってるって!」 「火の原因は!?」 「早く逃げなきゃ!」 「いやだけど鉄筋コンクリートだから火の回りは、」 「外にはヒーローが来てるって」 「皆さん押さないで!落ち着いてください!大丈夫ですから!」 そのまま人の波に乗っていた時であった。 「最上階の金庫に、インターンで来た学生がいるんです!」 「学生!?」 「煙で気付いて逃げるのでは、」 「金庫は防音になっているので、警報が聞こえないかもしれません、」 「どうしてそんなところに学生が!?」 「金庫で資料の整理をお願いしていて、」 誰かの出した大声に、その場は更にざわついた。わたしは思わず、足が止まってしまった。 「名字さん?」 依然としてわたしの腕を掴んだままのその人は、心配そうにわたしの名前を呼ぶ。 「早く逃げよう」 この人の反応は、正解だ。早く逃げないといけない。だけど。だけど。 一瞬でも思ってしまったのだ。勝己くんなら、と。勝己くんならきっと――、 「わたし、行きます」 「………は、」 目の前の人は、何を言っているんだという顔をしている。わたしも同じ表情をするだろう。わたしは無個性で、人を助ける力なんてない。だけれど、見捨てられないと思ってしまったのだ。先に進めないと思ってしまったのだ。 「わたしも、雄英なんです。経営科だけど」 「え」 「本当は、ずっとヒーローになりたかったから」 踵を返す。人混みをかき分け、逆走する。 馬鹿だなと、もう一人のわたしが笑っている。何の見返りも求めずに、助けられるかもわからないのに、わたしは誰かのために引き返している。自分が死ぬかもしれないのに。 だけどここで見殺しにしたら、きっとわたしは後悔してしまう。ヒーローでもないくせに。何の個性も持ってないくせに。 「お前の個性なんて1ミリも興味ねーわ。昔からずっと」 昨日の勝己くんの言葉を思い出す。嬉しかった。無個性でもいいと、関係ないと言われているようで、嬉しかった。だから、馬鹿な夢を見ているのかもしれない。個性がなくても、誰かを救えるのかもしれないと。 階段を駆け上がる。段々と昇っていくうちに、人はいなくなっていた。煙を吸い込まぬよう、わたしはハンカチを口に当てる。 働くようになって、個性の呪いからはだいぶ、解放されたように思う。普通に仕事をする上では、個性にほとんど左右されない。だけれど引け目を感じてしまうのは、恋人がヒーローだからだ。隣にすごい個性の人物がいる。引け目を感じるのは当然だった。 それと同じだ。わたしはきっと、知らないうちに爆豪勝己という人間に感化されているのだろう。デートの途中でも、敵が現れたり事件が起こったら、彼は走って向かっていく。その後姿が羨ましかった。眩しかった。だから、どうしても見て見ぬふりはできなかった。 最上階へ着く。火が燃えている様子はあまり見受けられないが、煙がすごい。目を細めながら金庫へ向かうと、入り口の近くで倒れている学生服が見えた。 「!」 慌てて駆け寄ると、気を失っているようであった。だけれど、息はしている。一酸化炭素中毒というものだろうか。知識がなくてわからない。そう思いながら肩に腕を回して支えながら、非常階段へ引き返す。 「………っ、」 女の子でよかった。だけれど、人ひとりを支えられるほど、わたしは鍛えていない。半ば引きずるように支えるが、一階まで降りられる気がしない。 自分の呼吸が、浅くなるのを感じる。このままではまずい。そう思い何とか一階分降りる。 「………っ、」 地上まで降りるのは、無理だ。エレベーターは動いていないだろうか。電気系のヒーローが救助に来ている場合は、電気を回して使えるという事例もニュースで見たことがある。それとも、窓の近くへ行けばヘリか何かが飛んでいないだろうか。こちらに気付いてもらえれば――、 よたよたと学生を引きずりながら、わたしは窓の近くへ行く。確か、このフロアには一面窓になっている場所があったような。空から救助に来ているヒーローもいるはずだ。 呼吸が浅くなっていく。頭が痛い。煙で見通しが悪い。ああ、もしかしたらもうだめなのかもしれない。そう思った瞬間だった。大きな爆音と、爆風が聞こえたのは。 「………っ、名前!」 わたしの名前を呼んだその人は、わたしと学生の二人を難なく担いだ後、爆破した窓から飛び出した。飛んでいる。思わずわたしは彼の肩にしがみついた。 「………勝己、くん」 「…………説教は帰ってからだ」 言っていることは冷たいのに、その声色は酷く甘かった。 (170312) |