Notte 
機を得て、出逢う。

真水の水面を思わせる透明度の上に置かれたティーカップは、未だ手を付けられてはいない。
カップを縁取る繊細な銀の細工は、あの夜を思い出させた。





部屋の中央にはクリスタルの輝きが目を瞠る美しいローテーブルを挟み、人一人が横になるには十分過ぎる程の幅を持つ革張りの一対のソファーが置かれていた。
そこに腰掛け対面する二人には、共に年若い見目に反しそれぞれ異なった貫禄があった。



「では以上で…」



一方に比べれば歳を重ねた中年の男が、右頬に残る古傷を歪めて笑った。
燃える様に鮮やかな紅の髪が、男の動作に合わせて揺れる。



「ええ。今この瞬間より一年…」



応えるのは男より一回り幼いだろう、童顔の青年。
ハニーブラウンの髪は青年の柔かな雰囲気を表すかの様に、ふわりと躍った。



「この一年にて、両ファミリーの更なる発展を」

「そして続く永劫たる調和を」



両者の右手が結ばれる。
その手が離れた瞬間、安堵の吐息を吐いたのは赤髪の男の方だった。



「貴方様と同盟を結べた事、とても光栄に思います」



――ボンゴレ。

恭しく一礼する男、シュートゥファミリーのボス――ファビアン・オベール――に、綱吉は「こちらこそ」と優雅な微笑を湛えた。



「お忙しい中長くお時間を頂き恐縮です」

「それはお互い様ですよドン・シュートゥ」

「そう言って頂けると此方としても幸いですドン・ボンゴレ」



頬を弛めたファビアンに「それに…」と綱吉は続けた。



「先程の様子から察するに、どうやら先約があった様ですしね。
此方こそ急な訪問で申し訳ありません」

「いえ、部下からの報告では寛いでいるそうなので構いませんよ」

「おや、シュートゥともあろう御方がこれから対談する相手方を随分と軽視なさっているご様子とは」

「何分個人的に興味はあろうとも、我がファミリーの益にはならない相手なもので」



肩を竦めたファビアンのその言葉に、綱吉は内心で笑った。
面の微笑を崩すことなく「それは私も気になりますね」と告げれば、意味のない戯れととったファビアンは微苦笑を浮かべて頷く。



「そうでしょうとも。
何せ相手はあの“インフェルノ”なんですから」

「あの、イギリスの」



綱吉が目を瞠る。
その様子におや、と内心頚を傾げたファビアンはもしや…と胸を踊らせた。



「インフェルノに興味がお有りですか?」



直後、クスリと質の変わった笑みを受け、ファビアンは歓喜に内で震えた。
ファビアンにとってそれは予想外の好機であった。
伝統、歴史、格式…。
勢力も含めあらゆる面で突出し、全てにおいて頂点に立つボンゴレ。
そんなボンゴレとの繋がりは最強の後ろ楯と言えた。
無論、ボンゴレと特に親しいファミリーの殆どは、その様な後ろ楯を必用としない名のあるものばかりだが…。
しかし新興のシュートゥはそうも言っていられない。
この世界、強いパイプ、後ろ楯こそが何よりも重要なのだ。
手札は多いに超したことはないとは言ったものだが、ボンゴレはそれすら超える最強のジョーカー。
その一枚で、ほぼ全ての状況を掌握できる。
だからこそ“ボンゴレ”に対して手札は一つでも多いに超したことはない。
この縁が切れる事だけはあってはならない。
ならばどうしてこの機を逃せようか。
インフェルノは常に中立の立場にあり、どのファミリーの傘下にも入らないばかりか同盟すら結ばない異端なマフィア。
関わりがないだけにその情報は乏しく、内情は堅く秘されている。
無論、その構成員もだ。
もし本当にインフェルノに興味があるというなら、今シュートゥにいるインフェルノの使者は強力なコネクションとなる。
よもやこんな好機に恵まれようとは…。
ファビアンは己の口角が無意識に上がったのを感じた。



「ではもし、まだお時間に余裕があるようでしたらお会いしてみてはいかがですか?」

「いえ、それはご迷惑でしょう…」

「あの女性が此方に来るまでここに居られるだけで?
とんでもない!
私こそインフェルノ等という未知の相手を前に、最強と謳われるボンゴレがご一緒下さればなんと心強いことか」



「是非今暫くこの場に留まって頂きたい」眉尻を下げるファビアンに、綱吉は密かに関心した。
莫迦なボスなら、間違いなく遠回しにインフェルノの会談相手は己だと告げ、帰路を勧めるだろう。
理由は簡単だ。
ボンゴレの興味を集めるインフェルノを独占する為だ。
インフェルノとの接触は難しい。
ボンゴレ程の規模となればそれも不可能ではないが、少なくともファミリーの情報関連の部署、或いは情報屋の協力が不可欠となってくる。
つまりファミリーを動かさなくてはならない。
他に多大な影響を齎すボンゴレがそんな事をするだろうか?
況してやそれがファミリーの利益と何ら関係のない、単なるボスの興味の範囲だとしたら?
答えは否。
だがそうなると、ボンゴレがインフェルノとの接触する機会は無くなる。
そこに漬け込み、ボンゴレとインフェルノの路を独占する。
ボンゴレがインフェルノに興味を持ち続ける限り、この路は有効だ。
利用価値は十分にある。
だからこそ一度この場から綱吉を離れさせ、完全に己がインフェルノを支配し、都合の良い路が出来上がった所で綱吉をそこへと引き込む。
そうしてボンゴレとの関係を維持しようと目論む。
これが普通のマフィアの考えだ。
…そう、“普通”のマフィアならば…。
だが、ファビアンはそれをしようとはしなかった。
正しく己と相手の立場と力の差を理解していたからだ。
確かに綱吉はインフェルノに興味のある風を見せた。
しかしそれがどの程度なのかは判断できない。
仮にインフェルノとのコネクションを得ても、ボンゴレがそれに食い付かなければ意味がないのだ。
況してや綱吉の様子から察するに、インフェルノに関心を寄せているのは綱吉のみ。
ならばただ個人の興味の為だけに、多忙なボンゴレのボスがインフェルノと接触を図ろうとするだろうか?
それは有り得ない。
仮にあったとしても、ボンゴレならば他者の力を借りずともインフェルノに接触出来るだろう。
となれば、幾らインフェルノとの仲立ちに納まろうと意味はない。
寧ろインフェルノとの無用な関係を築くのみだ。
ならばどうする?
下手にインフェルノを隠しだてするよりも、今接触の機会を作り恩を売る事こそ得策。
ファビアンはこれを正しく理解していた。
そしてそれを綱吉もまた理解しているからこそ、彼はファビアンを優秀だと讃えたのだ。

件のパーティーといい、今回といい、成る程規模はまだ小さくとも、ただ規模や名声に固執する愚かな他のボス達と比べるまでもない。
十分な力を得る前に、この才を潰されなければ恐らく…。
尤も、今自分が此処にいる時点でその心配もないだろう。
今回の契約とて、ボンゴレを楯に排斥を免れる意図もある筈だ。
成る程、これは末恐ろしいと綱吉は笑った。



「インフェルノに興味があるのは事実です。あのファミリーとは連絡を取り合うにも、情報局に動いて貰わなければならない程ですからね。
お恥ずかしながら、私は未だインフェルノのボスのお顔もお名前も知りません」



戯けた様に肩を竦めた綱吉に、ファビアンは豪快に声をたてて笑った。



「それは私とて同じことですよボンゴレ。未知の会談相手ながら、私はインフェルノのドンがどんな男なのかも知りません。
尤も、流石に名前は先日知りましたが」

「おや、先程此方にいらっしゃるのは女性だと仰ってはいませんでしたか?」

「名代だそうで、次期9代目候補だとか」

「成る程、次代のドンナという事ですね」



「これは楽しみだ」と笑えば、「おや、やはりこれはボンゴレにはお帰り頂くべきですかな?」とファビアンが戯けた。
愉快そうに「何故でしょう」と綱吉が問えば、「このままでは、また一人ボンゴレの毒牙にかかってしまうでしょう?」と笑うので、成る程と頷いた。
否定なさらないので?と問われ、残念ながらと返せば、泣かせるのは女だけにして頂きたいとファビアンは肩を落とす。
それを見た綱吉がシュートゥもそうでしょう?と笑って訊ねた。
すると落とした肩を今度は竦めてみせたファビアンの答えに、やはりこの男は面白いと綱吉は喉を鳴らした。




――ボス。

三度のノック音と、直後に聞こえた扉越しのくぐもった声。
その意味を理解し、二人のボスは口元に笑みを刻んだ。



「インフェルノ、ボス名代神城蓮様をお連れしました」

「入れ」



そう声を掛けたファビアンの視線が扉に向く。
それを視界の端に納めつつ、綱吉は出されていた紅茶のカップに口付けた。



「失礼致します」



音も立てずに開く扉。
その先を注視していたファビアンと異なり、淡いブラウンの水面を見詰めていた綱吉の視線の先で、セピア色の己がクスリと口角を上げた。



「おぉ、よくぞいらっしゃいました」

「初めましてオベール様。
本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます」

「構いませんよ。
インフェルノには常々興味がありましたしね」

「光栄です」



ふわりと女が微笑んだ。
それに同じ様に微笑み返したファビアンは、「此方に」と女に席を勧めた。
一つ礼を残しそれに従った女は、そこにいた先客ににこりと、友好的な笑みを浮かべる。
先客――綱吉はクツクツと喉を鳴らしカップをソーサーに戻すと、「お掛けになっては?」と自身の横を目線で指した。
「ご迷惑でなければ」と女が言ったのに対し、「まさか」と返せば女はそこに腰掛ける他ない。
女を見上げる琥珀の眸が、愉快そうに笑っていた。
失礼します。と努めて冷静な声色で隣から聞こえてきたソプラノに、綱吉は再びの笑みを禁じ得ない。
「なにか?」と微笑を湛え、不思議そうに問う女に綱吉は口元の笑みを象ったまま目を細めた。



「いえ、少々思う処がありまして」

「といいますと?」



穏やかな笑みに反し、問い返してきた声には剣呑が含まれているのは明白だった。
女はロクな答えを期待してはいなかった。
それがまた愉快で、綱吉の心は愉悦に浸る。
騒ぎ立てる嗜虐心を押し留め、「貴女は本当に…」そこで言葉を止めた綱吉は、おもむろに女の白い頬へと右手を伸ばした。



「意地の悪いジュリエットですね」



雪の様に白い肌は、文字通り雪の様に冷たかった。
じわりと肌に感じる他者の熱に浮かぶ嫌悪を押し隠した女は、温度のない笑みで笑う。



「ならば貴方もそうでしょう?」









――趣味の悪いロミオ様?





自分にだけ聞こえる様に囁かれたそれを受け、クスクスと笑う綱吉は、頬に添えていた右手を女の白銀の髪をすり抜け後頭部へと回す。
肯定の言葉の代わりに、引き寄せた女の紅に色付く唇を奪った。













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