黒白
「10代目!」幾分喧騒の収まった会場に戻れば、直ぐ様己の姿を見付け声を掛けてきた隼人に綱吉は流石、と微笑んだ。
駆け寄ってきた優秀な右腕に状況を聞きつつ、自然と割れて行く人の波の間を通り向かった先で、彼は厳しい表情で部下に指示を出していた。
「ディーノさん」掛けた声に彼、キャッバローネ・ファミリーのボス、ディーノは僅かに表情を緩めた。
「ツナ…、悪りぃな…折角来てくれたのにこんな事になっちまって…」
「いえ、俺の方こそ“外れて”しまいました…すみません」
「「!?」」
申し訳なさそうに眉を下げたディーノに、綱吉は首を振って苦笑を浮かべた。
その言葉にディーノと隼人は驚愕を顕にする。
そんな!と隼人が声を上げようとした時だった。
「悪いツナ見失っちまった…」
困った様に笑いながら、しかし敵を目前としているかの様な鋭い眼差しをもって、背後から現れた武がそう告げた。
「そう、」
「あんま驚かねぇんだな?」
「予想はしてたからね」
「予想…?」
「まぁ外れた可能性もあるんだけど」
苦笑する綱吉に回りの怪訝そうな表情は尚も深まる。
ボンゴレ血縁者にのみ稀にみる超直感だが、綱吉のそれの精度は最早予知能力の域に達していた。
本物の予知能力者と比較してもその精度は遜色ない。
綱吉の予感、予想と、予知能力者の予言は等しい。
にも関わらず、それを否定する言を口にする綱吉を、周囲が疑問視する事は当然だった。
「どういう事だ?」問う武に、綱吉は苦笑した。
「まぁそれは後程。
ディーノさん、俺達にも何かお手伝い出来る事はありませんか?」
「いや、今日のお前等は此方の来賓だ。手伝わせる訳にはいかねぇよ」
苦笑を納め、そう訊ねた綱吉にディーノが困った様に笑った。
それに何か言いたげな武を視線で制し、綱吉はそうですかと頷く。
だが顔を上げた綱吉の表情は紛れも無く、裏を統べる組織の長たる者のものだった。
「でしたら古くからキャッバローネと同盟を結ぶボンゴレのボスとして、条約の下、部下を――そうですね、私の『雨』をお貸ししましょう」
「雨、いいな?」にっこり微笑まれ、初めキョトンとしていた武も綱吉と同じ様に微笑んで頷いた。
そんな二人に隼人は止めても無駄だと溜め息を吐き、ディーノはやれやれと肩を竦め苦笑する。
「ならボンゴレ、条約に即し、貴殿の雨をお借りしても?」
「ええ、彼は良き働きをしてくれるでしょう」
頼むなと、小声で告げ、気心の知れた者に対する笑みを浮かべたディーノは武が「嗚呼」と返したのを機に、綱吉に一礼すると武を連れその場を後にする。
直ぐに駆け寄ってくる部下達に指示を下す表情は険しい。
遠目からそれを確認して、綱吉は思わず眉を寄せた。
「10代目…」案じる隼斗の声に大丈夫、と薄く微笑む。
脳裏を過る漆黒の影と白銀が、しかし融けぬ蟠りとなって何時までも胸に燻っていた。
――――――――――――――
対面するその二人は極めて対極的だった。
片や新雪と見紛う美しいシルバーホワイトの髪と純白のロングコートを纏う白の女。
片や夜の闇をそのまま切り取った様な漆黒のローブで全身を隠す、黄昏の色濃き影を彷彿とさせる黒の者。
その色もさることながら、女と影の纏う雰囲気もまた異なった。
影は正しく影。
気配から感情の機敏を完全に消し去り、実態としての姿を感じさせない。
しかし女は己の感情をまるで隠す気がなく、浮かんだ憤怒をそのまま影へと向けていた。
似た体躯ではあるものの、その存在の違いは明確であった。
「何故お前が来た。この任からお前は外れた筈だ!」
吼える様に怒鳴り付けてきた女に、影は淡々と返す。
「こちらの任務が早く済んだ。
それに元々この任務は私に充てられたものだった。早急に任務が完了した以上、私がこちらの任務に戻るのは道理だ」
「それを言うならこの任務の配置が俺とお前で逆だ!」
「否定はしない。
しかし所詮は過ぎた事だ」
「っ、何でお前は何時も…っ!」
「何で…?」
影が繰り返した。
女は己の失言に気付き、忌々しいとばかりに柳眉を寄せる。
そんな女の表情を見ながらも、影は変わらずの感情の篭らない声で続けた。
「“それが私の咎だから”」
それは分かっていた答え。
分かりきっていた答え。
しかし女はその答えに頷く事は出来ない。
ギリッ…、と女の握った拳が悲鳴を上げた。
「話がそれだけなら私はもう行く」
「おい待て!話はまだ…」
「会談の機会を得た。これは今後の要だ。くれぐれも、と8代目からも忠告を受けている」
その言葉に、女の片眉がつり上がる。
怪訝そうな女の表情に、影は心中で嘆息した。
「会談?どことだ」
「例のフランスの“滝”だ」
影の返答に、途端女の表情が険しくなった。
何事かと影が訝しんでいると、女はズイ、と影に顔を寄せ、不機嫌をそのまま声にしたのかと疑うぐらいの低い声で女に詰め寄った。
「今日、お前を探してる奴にあったぞ」
「私を?」
「嗚呼、なんでもソイツの上司がお前を気に入ったらしい」
「……」
「心当たり、あるんだな」
口を噤んだ影に女はそれが肯定だと受け取る。
事実、影には思い当たる節があった。
否定しない影に女の顔が歪むも一瞬のこと。
小さな溜め息を吐いた女は俯き、思案する影の頭をフード越しにゆっくりと撫でる。
一瞬、影の肩が僅かに揺れた。
「言いたくないなら聞かねぇ。
頑固なお前にいくら言っても無駄なのはよーく分かってるからな。
けどな、これだけは覚えておけ…」
諭す様にゆっくりと、しっかりと、
そして優しく降り注ぐ声に影は緩慢に視線を上げた。
影の視界に黒の揺めきが入る。
「“俺”は、何があってもお前の味方だ」
優しく微笑むその姿は“女”のものではなかった。
ふわり、影の頭を離れた手が影のフードを外す。
隙間からサラリと、流れる様に広がった白銀が影の白い頬を擽り、肩口で揺れる。
氷蒼の瞳から一滴の涙が、まるで髪の跡を辿る様に頬を滑り落ちた。
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