夏に捕らわれる



ほんの数年前まで自分があの中にいたかと思うと、不思議な気分になる。数日前、何気なくつけたラジオから流れてきた、夏の風物詩。実況中継の後ろでの攻防、響く歓声とそれに寄り添う応援歌、目を閉じたら鮮明な映像が浮かぶ。炎天下の中、汗を拭いもせずに走る、走る白いユニフォーム。


唐突に。


脳裏に蘇るその記憶が目の前の背中に重なり、私は思わず声を上げた。


「仲沢?」


偶然立ち寄った本屋で、意外な人物に会った。ここ一年くらい見ない顔だった。けれど間違いない、がっしりとした体つきに愛想の良いとはいえない表情。存在感ありまくりな姿は、狭い本屋に似合わない。


「あ……お前、」

「みょうじ。三年の時に同じクラスだった、忘れちゃった?」

「覚えてるよ馬鹿。今名前、呼ぼうとしただろ」


実をいうと意外である。仲沢呂佳と私は、特別親しかったことはない。本当にクラスメートレベルの付き合いしかなかったのだ。そう言うと、


「忘れるわけねーだろ。お前、毎回野球部の試合見に来てたじゃん」


その言葉に間違いはない。友達も自分も高校野球好きだったことので、甲子園経験も豊富な桐青野球部の応援には進んで参加していたのだ。私の中で仲沢の印象が強いのも、彼が桐青のレギュラー選手だったことも大きい。


「えと、仲沢って大学生?」

「おう。法学部」

「や、ちょっと見えなかった。つーか意外。法学部似合わない」

「るせーな。みょうじこそ化粧なんかしやがって、不自然だ」


正直、彼は付き合い易いタイプではない。迫力ある風貌、強気な口調、女子からは怖がられることも多かった。だからその仲沢と、こんな風に話す日が来るなんて思ってもみなかった。が、仲沢は誤解されやすいだけなのだ。実際はかなり気さくである。


「あ。もしかして誰か好きなやつでもいたのか?」


私が野球部の追っかけだったことに対して、仲沢は思いついたように手を叩く。それに対して私は、即答。


「違うわよ。高校野球、好きなの」

「あっそ」


意外だと、仲沢は意地悪く笑う。
その横顔に、高校時代の仲沢が重なった。よく日に焼けた、健康的な姿。たまに隣の席になって、度々盗み見た横顔。


「ね。今でも――野球、やってんの」


ずっと気になっていた。でも触れてはいけないと思っていた。…なのに、ぽろりと口から零れてしまう。慌てて口を閉じた時には、仲沢は神妙な顔で私を見下ろしていた。


「コーチしてる」


しばらくの沈黙の後、ぼそりと返ってきた答え。


「こ、コーチ?!仲沢が?」

「走るのは、もういやだかんな」

「えーうそ、仲沢コーチ…うわ、なんか想像つかない」

「おまっ、いい加減絞めんぞ」


驚いた。
仲沢は、もう野球をしないのかと思った。野球部にいた何人かの知り合いは、しばらくして野球部に顔を出したりしたそうだ。でも仲沢は一度も戻らなかったと後輩に聞いた。
初戦敗退はそれ程、彼にとって重荷になっているのだろうと思っていた。


「美丞大狭山。応援しろよ」


強気な笑顔で念を押した仲沢は、生き生きとしていた。そのまま別れた私たちは、以来一度も連絡をとっていない。それもそうだ、もとより連絡をとるような関係ではないのだ。

…でも、あの夏を乗り切って、仲沢が野球にまた関わっている。それをとても嬉しく思った。やっぱり私は、野球に向き合う仲沢が一番好きだったから。


けれど。


実際は違ったのだ。それからすぐ夏大が始まり、美丞大狭山の試合のクロスプレー。その時、わかってしまった。
乗り切れてなんかいない。仲沢はまだ、あの夏から抜け出せないでいる。


090710




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