指先から伝わる 恋人になったからと言って、急に私たちの何かが変わるわけでもなく。明確な名称がついたところで、私たちの行動は何一つ変わらない。2人きりの上司と部下、他の隊員との関わりのめったにない私たちは、元々が近かったのだ。最近そう気づいたのは、恋人になってからこれ以上距離を詰めようにも、既に限界値に達していると自覚したからである。 (何も…変わらない、けど) 私は、ちらりと彼の様子を窺う。 今日は珍しく、じっと書類とにらみ合っている。急を要する整備は終わってしまい、私では手の付けられない書類ばかりが残ってしまったのだ。スパナは頭が良い。仕事もできる。だから困った様子はないけれど、やっぱり書類はあまり好きではないのか、時折モスカを眺めて溜め息を吐いている。 (いつもと変わらない、のに) 私も、スパナにつられて息を吐いた。 (どうしてこんなに、どきどきするんだろう) 視線の先にはスパナ。 彼の顔には相変わらず、連日の徹夜による疲れが浮かんでいる。作業着だ。顔は整っている方だと思うけれど、だからといって特別イケメンというわけではない。 (格好いい…) 特に何かが変わったわけではない。 絶世の美男子というわけではない。重々承知だ。 (わかってるのに、何故こんなにときめくんだろう…) そう。変わってしまったのは最近の私だ。噂に聞く乙女フィルターというやつだろうか、スパナと居ると必要以上にどきどきしてしまうのだ。 (私ばっかり意識、しすぎなのかな) 恋人と、言われるだけで途端に顔に熱が上がってしまう。触れ合うだけで苦しいくらいに幸せ。 それを、幸福と考える以前に、厄介だと思ってしまった。今までの距離感が居心地良かった分、新たな恋人という距離に戸惑いを隠せないのだ。 「ねぇ、正ちゃんに聞いたんだけど、司令室ではすっかり噂になっちゃったみたい。私とスパナが付き合ってるって」 気分転換に、とお茶を淹れたマグカップを手渡す。ついでに、話題を振ってみた。スパナは私と違って余裕な表情なのだろうなと思って、ちょっとだけ自分の不安を押し殺すように続ける。 「困っちゃうね、今までと大して変わらないのに、騒がれてるみたい」 「うん、そうだな。でも、一時だと思う」 ほら、やっぱり。 恋人と口にするだけでやっとな私と違って、スパナは顔色ひとつ変えないのだ。 (私も早く、慣れなくちゃ) ぽつりと思いながら、空になったカップを下げようと手を伸ばした。 「あっ…」 不意に触れた手。急に感じた熱に、びっくりして手を離してしまう。カラカラと、床に落ちたカップが音を立てて転がった。 それと同時に。ああ、厄介だと内心うなだれる。 「ご、ごめん」 きっとスパナは私にそれを手渡そうとしてくれたのだろう。妙なところで気が合ってしまったのだ。それにしても、いやに大袈裟に反応してしまった。これではいかにも、意識していますという態度だ。 慌てて取りなそうと床に手を伸ばした。けれど。 「スパナ…?」 手を掴まれ、指が絡められる。私より骨張っていて、大きな手。きゅ、と握られた手はいわゆる恋人繋ぎというやつで。 「…何も変わってないとは、思わない。ウチ、どんどん助手子が好きになってる」 顔を上げるとスパナが、真剣な顔で言う。 「見るたびに、話すたびに、触れるたびに、好きになる。どこまでいくのかちょっと怖いくらいに、好きだ」 けれども、その頬はほんのりと赤く染まっていた。私がじっと見つめると、視線がうろうろとさ迷う。 なんだか、違う。ああ、そうか。 「私も、私も大好き。きっと明日はもっと好きになるよ」 思わずそう伝えると、彼は嬉しそうにはにかんだ。 そうか、照れくさかったのは私だけじゃなかったんだ。スパナも、同じ気持ちだったんだ。 嬉しくて、でも気恥ずかしくて、そのまま二人して俯いた。言葉はない。でも絡めた指先から、ちゃんと気持ちは伝わっている。 指先から伝わる ----------- 完結アンケートより、くっついてもまだどぎまぎする二人、でした。リクありがとうございました! 111116 |