早く、早く早く早く早く。

早く、もっと速く走らなければすぐに追いつかれてしまう。追っ手の検討はついている、先日道場の他流試合で叩きのめした奴である。当初俺は試合にでるつもりはなかったし、実際面子の中にも入れられていなかった。だが予定していた奴が急病だかで、出れなくなったのだ。


(けどよ、いくら格式ばった試合じゃねぇっからって、完璧自己流の俺に竹刀握らせるなっつーの)


型なんてどうでもいい、腕試しに戦ってみろ、とはよくいったものである。相手方も聞いたことのない流派だったし、身分だって俺らと代わらない農民あがりだった。だから仕方ないと了承した。


(自己流でいいかってったら、鼻で笑って了承したくせによ)


笑われたのが頭にきた。自分が笑われるのはまだいいのだ、問題は大将である近藤さんまで笑われたような気がしたことだ。ついで、脇にいた総司が「負けるわけないよね」とニヤニヤ嫌らしい目を向けてきたのが良くなかった。
結果、手加減無しに叩きのめした。

自慢じゃないが、剣の腕はともかく喧嘩では負けなしである。団体での三本勝負、三将の俺は近藤さん、井上さんの手を煩わせる間もなく三人ともぶちのめした。やり過ぎだと笑われたがちゃんとした試合だったので、いくら型が崩れてようと俺の勝ちには変わりない。


(それを根に持って闇討ちかよ…!)


仕返ししたいなら正式にまた試合を申し込んでくればいいものを、真っ当な勝負では勝ち目がないと悟ったのか一人に対して三人がかりで斬り込んできた。
しかも俺は薬の行商の最中だ。一応木刀をぶるさげていたから良かったものを、丸腰の相手に真剣とはいかがなものだろう。


(くそ、)


足が重い。思うように体が動かない。


(あんなやつら、俺だって刀さえあれば…)


刀は武士の魂だ。高価だとかそういう以前に、なかなか手を出せない代物だった。いつかは必ず、と日頃から意気込んでいたが、必要なときに無いのでは意味がない。

本来なら何人居ようと負けることのない相手だ。それを今俺が逃げるしかないのは、俺が既に手負いであったが為である。無理をすれば勝てなくはない。でもここは命を張る場面ではないと本能が告げていた。
俺が木刀を持っているとは予想外だったらしい。反撃を仕掛けて相手が怯んだ隙に走りだした。


そうしてどれ程走っただろうか。
気づいたら見知らぬ場所へと迷い込んでいた。人気はない。思わずその場に膝を付く。


「あの、どうかしましたか?」


ぽつんと建っていたでかい屋敷の陰から、小柄な姿がこちらを覗いていた。俺は膝を付いたまま、目だけそちらに向ける。もう返事をする余裕も無い。


「…! 貴方、血がっ!」


袴に胴着姿だったが、それは女のようだった。女は恐る恐る俺に近づき、ある一点に目を留めて小さく叫んだ。
けれどその声さえもどこか遠くに聞こえて、俺は朦朧としたまま彼女の目を見つめる。


(…紫苑だ)


そこで意識は途切れた。




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