蝶が、視界を横切った。

華奢な身体に纏う藤色の小袖、白を基調とした柄の帯がひらりと舞う。結い上げた髪には控えめながら繊細な細工を施した、花簪。

決して動き安くはないだろうその装いで、少女は斎藤の前を駆けていく。呆気に取られていると後ろから、複数人の男たちが彼女を追いかけるように走っていった。
追いかけるよう、ではない。彼女は男たちから追いかけられていた。


「おい、待て女ァ!」

「逃げられると思うなよ!!?」


下品な言葉を撒き散らしながら負う男たちに、周囲も呆気に取られたように眺める。江戸城下の騒がしい日常にはままある情景であることは確かだが、斎藤の目を惹きつけたのは少女の装いであった。どう見ても彼女は、相当な身分の娘であろうと思ったのだ。

江戸の女は中々にしたたかで、男相手に勇むことも希ではない。しかしあのような頭に血の上った浪人崩れの男たちに追われ、彼女が無事に済むとは思えない。高貴な女性を助けて恩を売ろうという考えは一切無かったが、酷い目に合うだろうと思いながらそれを見過ごせるほど、彼は非道ではなかった。




「存外しつこいですね、貴方たちは」


彼女らに追いついた時、少女は人気の無い路地裏で男たちと対峙していた。追い詰められたというのに怯える様子はなく、毅然とした態度で男たちを見据える。その姿は凛としていて、浪人たちも一瞬気圧されたように身じろぐ。が、すぐに下衆な笑みを浮かべた。


「へへ、護衛も連れずに歩いてたのが運の付きだな。お嬢さんよォ」

「あら。私の正体を知って追いかけてきたのかしら?」

「もちろんだ。その紫苑の瞳、探したぜぇ・・・あんたを人質にすればこのクソみてぇな世の中を変えられるんだからな!」


言葉と共に、男たちは一斉に彼女へと襲いかかる。
刹那――少女は艶やかに笑んだ。


「護衛を連れていないのは、必要ないから。貴方たち、私のことを知っているようだけれど理解はしていないのね」


年頃の――斎藤と大差はないだろうと思われる年齢の少女にしては、艶やかすぎる表情。紅を差した唇が弧を描く。それに引き寄せられるように、男たちは刀を抜く。

しかし、その刀は少女に届く前に叩き返された。


「女ひとりに寄ってたかって抜刀とは、感心しない」


既のところで少女と浪人の間に入った斎藤が、全ての切り込みを弾いたのだった。驚いたようにどよめく男たちに斎藤は凄んだ。


「これ以上続けるというのなら、斬る」


多勢に無勢。だが男たちは斎藤には敵わないと悟ったらしい。舌打ちを残して蜘蛛の子を散らすように去っていく。
息を吐き、斎藤は少女を振り返る。
そして、硬直した。


「私、助けて欲しいとは頼んでいないわ。貴方も私に何か、御用なのかしら」


少女は懐刀を斎藤の首筋に向けて構えていた。
少しもそんな気配は感じなかったというのに、急所を抑えられた斎藤は背筋に冷や汗を感じる。

唇には依然、鮮やかな笑み。しかし蝶と呼ぶにはあまりにも鋭く、花に例えるにはあまりに冷ややかな、紫苑の双眸が斎藤を見据えていた。





藤色小袖に花簪




130421



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