その名を呼ぶのは貴公なりや


校門の少し手前、人目につかない脇道で車から降りた。マネージャーに帰宅時間を告げ、辺りを慎重に伺いながら、なるべく目立たないように学園の敷地内に入る。
そこで、同級生の姿を見つけた。遅刻チェックをしている、風紀委員の斎藤くんだ。彼もこちらに気づいたようで、手招くとやってきてくれる。


「斎藤くん。あいつ、来た?」

「今日はまだだ。一限は体育だから、その後来るだろう」

「良かった〜」


その情報に安堵する。幸先が良い。朝の騒動があるかないかで、だいぶ一日の良し悪しが決まってくるのだ。
ほっとしたところで肩の力が抜けた。ついでに口も緩んでしまう。


「もう嫌になっちゃう。毎日毎日、あの人しつこいんだもの。しばらくインフルエンザで来れなくなるといいのに」

「気持ちは分かるが・・・その発言は”若紫鬼”的にまずいのではないか」

「うっ・・・気をつけます」


あまりに最もな意見に、うなだれた。幸い、周囲には誰もいなかった。小さく息を吐くと、斉藤くんは薄く笑う。


「俺には千夜が楽しんでいるようにも、見えるけどな」

「・・・・・・そんなことないよ」


斎藤くんは、私が心を許せる数少ない友人の一人だ。といっても、こうして人目のつかないところで世間話をする程度だけれど。でも、私には有難い時間。素のままの私でいられるから。

私、雪村千夜は、今タレントとして売り出し中のモデルだ。芸能界では「若紫鬼」という名で通っている。
よくメディアには『その美貌や気立ての良さ、魅力的な紫苑の瞳で多くのファンを獲得中!注目の美女!』なんて大層なことを書かれるが、その正体はなんてことのない、ごく普通の女子高生。だからこうして、仕事以外では学校に通っている。

勿論学校には芸能人の私を知る人が多く、よく話し掛けられもする。今までにも沢山ファンの相手はしてきたが、有能なマネージャーや友人のお陰で変な事件は起きていない。
――ただ一件を除いて。

私が先程心配していたのは『風間千景』という男子生徒のことだった。
風間は私と同じ三年生で、この学園の生徒会長もしている。更に風間財閥の御曹司のぼんぼん、そのくせ、始末の悪い連中を引き連れている厄介なやつだ。
見た目こそ飛び抜けてイケメンではあるが、強引・横暴・自己中の三拍子が見事に揃った問題児。性格に難アリ。

その風間に、付きまとわれている。それが目下の悩み事。
入学してすぐ、顔を合わせたその瞬間に言われたのだ。「お前は俺の妻に相応しい、俺のものになれ」と。意味が分からないし怖いしで、私は避けて逃げての繰り返しだった。



そしてこの攻防は、今なお継続中である。




「どうして逃げる!」

「そっちが追いかけるからでしょう!」


今日も、出会い頭に彼が嫌な笑みを浮かべるものだから、反射的に反対方向へ走り出してしまった。
廊下を全力疾走する私に、風間は一定距離を保ちながらついてきている。腹立たしい。こいつは、いわゆる身分だけの男ではないのだ。頭も悪くないし、運動もできる。だから本当は、本気になれば私なんてあっさりと捕まえることができるのだ。

(それなのに・・・こんな風に、まるで遊ばれているようだわ)


そう。風間は、私に何をするでもない。ひたすらにつきまとって、やたらと接点を持とうとする。それだけ。つまり、実害は”うざったい”だけ。

(しかもファンではないのよね)

出会ってすぐの頃、私がモデルの仕事をしていると知って驚いていた。驚きながら、仕事と学業の両立に関心をしていた。その上、身体に気をつけろとか無理をするなとか色々気にかけてくるようになった。

(私を芸名で呼んだことも、一回もないし)

彼は多分、私の仕事関係もばっちりチェックしている。生放送の後とかにはメールをしてきたりもする。クラスメートでも私を芸名で呼ぶことはある。むしろ、本名で呼ばれる事の方が少ない。
なのに風間は、何の違和感もなく、私を”千夜”と呼ぶ。それがなんだか、こそばゆいのだ。

(”特別扱い”されたいとか、考えたことはないと思ってたけれど。芸能人だって特別扱いされるのが、普通になってたのかな)

あれこれ考えているうちに、息はどんどん上がってきた。今日はもう、限界かもしれない。大人しく捕まって、彼とお昼を共にしないといけないのか。


「そもそも、どうして私なのよ!?」


耐え切れず足を止め、壁に寄りかかる。同じく足を止めた風間に向かって、叫んだ。悔しい。やはり、風間の息は全然上がってない。


「そんなこと、決まっているだろう」


私の前までやってきた彼は、不敵な笑みを浮かべる。ゆっくり伸ばされた手が頬に触れ、撫でられる。逃れるように身を捩るが、風間は嬉しそうに目を細めた。


「お前は俺が手に入れてみせる。心も身体もだ。例え運命が我らを分かとうとしても、な」


その彼の表情に心がぞわりとする。濡れたように赤い瞳がギラリと光った。

(ああ、時間の問題かもしれない)

目が逸らせない。鼓動が早くなる。息が上手くできない。

(逃げられない)

単純にそう、思った。


130121



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