傍観者の思惑


丁度部屋を通り掛かったその時、鋭い打音と共に憎々しげな女の声が聞こえた。


「まぁ失礼な男ですこと。私、貴方のこと嫌いだわ」


驚いて足を止めたところに、部屋から飛び出した女が目の前を横切る。腰のあたりまで伸ばした髪を靡かせ上品な着物の裾を引く彼女は、じろりと俺を睨みつけ、小さく舌打ちを残して去って行った。


「おい天霧、また姉上を怒らせたのか」


開け放たれた障子から覗き込むと案の定、部屋の中央にぽつんと正座したままの男。常と変らない憮然とした表情ながら、その左頬は腫れている。
この天霧の御曹司と俺は兄弟のように育った仲であるが、この男のこのような部分にはいまいち共感しかねる。


「どうせお前、女鬼は男に従ってればいいんだーとか言ったんだろ。姉上は矜持が高いからとあれほど」

「単なる意見のすれ違いだ。俺は別に姫様を侮辱したつもりはない」

「だからそういうところが……まあいいや」


天霧は男鬼としての自覚や志が高い。が、少々過激な部分もあるものの、鬼として特別問題視する程ではない。
問題なのは、女鬼としての誇りが高すぎる姉である。


「姫様は、私が嫌いか」


ぽつりと、天霧は呟く。
天霧と姉の関係は、とても微妙なものだった。天霧と俺は兄弟のように育っていながらも、年は天霧と姉の方が近い。


「それはない。お前ほど、姉上とまともに会話にできる鬼はいない」

「だが姫様には多くの縁談話があるだろう。愛想のよいどこぞの御曹司と比べられたら、私なんて霞む」

「確かに育ちの良い男ばかりらしいが、姉上はすげなく断り続けてるぜ」


風間家の女鬼ともなれば引く手数多なのは道理である。しかし年頃を迎え過ぎようとしている今も、両親は娘をどこにも嫁がせようとしない。それというのも。

(天霧と姉上が良い雰囲気だからだ)

顔を合わせれば言い争いばかりな二人だが、息はぴったり。それに二人にとって罵倒は愛情の裏返しのようなものなのである。素直じゃない同士、周囲は当然くっつくと思っている。

(天霧家の一人息子ならば身分も十分。だけど、顔を合わせれば平手打ちか)

姉は父に性質が似ていた。控え目に言って横柄で我儘である。さらに照れ隠しで手が出る。そんな女に付き合っていられるのは、日本中をくまなく探しても天霧以外に見つからないだろう。


「よし天霧、今夜は街に降りよう」

「………は?」

「あの舞妓、なんてったかな。赤い簪の似合う、あの子を指名しよう」

「若、突然何なのです。それに街遊びは禁じられているでしょう」


今夜はとことん、天霧の話を聞いてやろうと思った。その為には酒と綺麗な女に限る。
当の本人は、やや渋い顔をする。俺のお守り役としての責任が引っかかるらしい。


「こっそり新政府の県庁に忍び込んだやつに言われたくないよ」

「私は浮ついた理由からではないから良いんだ」

「良いわけあるか、人間に関わることは御法度だぜ。それに比べたら俺のは可愛い方だろう」


上手くいいくるめて約束を取り付ける。一応口では止めるものの、事実天霧は俺の里抜けを容認しているので、来てくれるだろう。


「じゃあ、一刻後にいつものところな。姉上に謝っておけよ」


天霧だったら義兄にして良いと心から思える。俺が二人の仲人になれるのなら喜んで引き受けよう。


120925



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