発つ君に幸在れと


血の臭いに誘われて覗き込んだ路地裏で、震えている女を見つけることができたのは、幸運だった。壁に追い詰められ、大きく目を見開き、彼女は羅刹共の餌食になろうとしていた。
助ける義理があった訳ではない。酷い話だが、俺は人間の小娘をいちいち助けてやるような慈悲深い男でもなければ、羅刹共の相手をするほど暇でもない。
だが、ひと目で俺は、その女の姿に惹きつけられていた。

それが探していた女鬼だとわかるまでには、時間がかからなかった。







彼が娶った女の養父と対面するのは、これが二度目である。なんとなく、初めて出会ったあの時のことを思い出して可笑しく感じた。


「勝殿――いや、義父上とお呼びしたほうが良いか」

「勝で構わん。お前のような男を息子などとは、到底思えないからな」


溜め息混じりで言葉を返した男、勝は胡乱気な表情で此方を見つめる。


「今千夜は出掛けている。急ぎの用ならば、呼び戻すが」

「構わない。俺はお前と話しに来たんだ」


告げて、我が物顔であぐらを掻くと露骨に嫌な顔をされた。
勝の千景への対応は、冷たい。同じ鬼でも南雲薫は気に入ったらしいので、きっと、風間千景自体が好きではないのだろう。根が平和主義者であり、手塩にかけて育てた可愛い養女を取られた勝だ。当然かもしれない。
しかし千景のほうは、勝が嫌いではなかった。いかにも江戸っ子気質の、潔さが良いのだ。


「千夜は、どこに出しても恥ずかしくない自慢の妻だ。貴様の教育の賜物だな」

「そりゃあどうも。俺は、鬼なんぞにくれてやる気はさらさら無かったんだがね」

「もう貰ってしまったものは、仕方がないだろう。諦めるんだな」

「鬼、しかもよりによってお前さんのような性悪に、どうして捕まっちまったかなァ」


千夜が居なくて良かったと、勝は言いながら思った。が、しかし本音だ。幸せならそれで良いと思って祝福した勝だが、正直男の趣味が悪いと、娘を評価している。
そして、それはあながち間違いではない。千夜の周囲の鬼たちも思っていたことだった。


「でも、千夜が選んだ男だ。俺に口出しする権利はねェよ」


ぼんやりと返した勝に、千景はふと真剣な表情をする。
そして軽く、頭を下げてみせた。


「千夜は、いただく。我が妻には貴様というよりも幸福な人生を約束しよう」

「・・・・・・なんだいそりゃあ」


思いがけない千景の行動に、勝は目を丸くした。矜持の高い鬼が、人間の自分に頭を下げるなど想像だにしなかったことだ。
しかし千景の様子に、勝は理解する。わざわざ千夜が留守の時間帯に来たのは、この為なのだろう。


「鬼ってのは存外、義理堅いなァ」


彼女が望んだ嫁入りとはいえ、千夜は鬼に連れ去られたものと考えていた勝だが、それは改めなければならないようだ。わざわざ妻の実家、しかも養父を訪ねて挨拶にくるだなんて、流石は一族の当主とでもいうべき筋の通った男だ。

(いや、千夜のお陰かもな)

鬼は初対面の頃より、柔らかな空気を纏っている。


「千夜を幸福にするなんざ、当たり前のことだろうが。下らないことを言うんじゃねェよ。早く孫の顔を見せに来ることだな」


勝はぞんざいに言い放って、腰を上げる。そして少しだけ笑った。


「美味い酒がある。折角だ、飲んでいけ」


鬼も、満更ではない様子で口角を上げた。



120622
養父と夫。ちなみにこれは最終回前の時間軸なので、この後薫が帰邸し、千景は千鶴宅に嫁を迎えにいきます。




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