ぎゅっとしてね


明け方から始まった陣痛は、日が登る頃には間隔がとても短くなっていた。いよいよ始まるのだと自覚し、破水したその時に千夜は千景への知らせを走らせた。


「ち…かげ…、そばにいて下さい」


すぐに夫が駆け付けたことに気づき、千夜は顔をそちらへ向けて言う。しかし出産の場は男子禁制。一度、手を握りしめた後はどうすることもできず、千景は部屋を追い出された。仕方がない。鬼の頭領といえども、男の力の及ばぬものである。


「すぐ外に居てやる」


千夜は彼の言葉に頷くと、襖が閉まる直前に力なく笑った。こうして、御産が始まったのである。





「ちょっと、さっきから落ち着きないわね」


屋敷中の女たちが慌ただしい中、千姫はのんびりと茶を啜った。臨月の千夜を励ますため、そして鬼の一族の今後を千景と話合う為に遙々ゃってきた彼女は、客分であるため御産には立ち会わないのだ。
かわりに、頭領を始めとした残された男たちを、諫めなければならない。


「煩い。集中できないだろう」

「してないじゃない。貴方、何時間同じ本読んでるの?」

「だが…我々は本などを読んでいていいのでしょうか」

「…天霧まで」


目に見えておろおろしだす彼らに、千姫は溜め息をつく。


「まぁ、分からなくもないけれど。悪阻があれだけひどかったのだもの、散々体力を削られた後の陣痛は、その比じゃないわ」

「もし千夜に、何かあったらどうする。それにあの子は、風間家を継ぐかもしれぬ子だ」

「全くないとは限らないけれど、御産だもの。千夜の場合は特に危険だとかはないわ。経過も順調だったのだから」


その時、千夜の居る部屋から一際大きな唸り声が聞こえてきた。


「んんっああっあああぁ!」


少しくぐもってはいるが、間違いなく千夜である。聞いたことのないような、苦しげな叫び声に、千景と天霧はびくりと表情を凍らせた。


「――だから、普通のことだって。初めて立ち会う時は驚くけれど、よく考えれば当然じゃない。あの苦しみを乗り越えるから、母親になれるのよ」

「ですが……あまりにも、苦しんでいませんか?」

「苦しいでしょうね。お腹から、別の命が出てくるのだから」


千姫は他に何度か、御産に立ち会ったことがあるのだ。自らの経験はないとはいえ、心配するような状況でないことはわかる。
けれど、何度言ってもこの男たちは落ち着けないらしい。死体を積み上げて、人間を恐怖に落とし入れる程度のことは平気で行うこの男が、妻の御産でいちいち慌てる様は間抜けでしかない。
今にも立ち上がりそうな風間の頭領に、彼女は呆れつつ釘を刺した。


「駆けつけたところで、どうにもならないわよ」



そして。


「おめでとうございます!可愛らしい、御嫡男です!」


長時間に及ぶ苦難の末。
突如響いた産声に、千夜の混濁気味の意識が少しはっきりとした。宙をさまよっていた瞳が、女中に抱かれた赤子を映す。


「男…の子」


我が子は、小さな手足を動かし元気な声をあげていた。瞳は紅、父親譲りのようだ。


「千夜……良くやった…ッ」


汗ばんだ手を握ったのは、千景だった。赤子と同じ紅の瞳が千夜を覗き込む。彼は、嬉しさにどこか安堵した色を滲ませ、慈しむように彼女の額に貼り付いた髪を払ってやる。


「千景…私…」

「本当によく頑張った。母子共に良好だそうだ」


この人の子を産むことができた、ただそれだけの喜びに千夜は満たされていた。
嫁ぐ前は、千景が自分の血筋だけを求めているのだろうと、子を産む道具として必要とされているのだと思うこともあった。でも今は、違う。産まれた子と同様に、自分も愛されているのだと思うことができる。
そして千夜もまた、千景を愛しているのだ。


「ありがとう…私、千景の子が産めて、幸せなの」


小さく告げた言葉に、彼は頷く。
夫と子と生きる新たな始まりは、幸せに満ちていた。きっと今度は幸せになれる。家族を失いはしない。
その安堵は、千景が与えてくれたもの。詰まるところ、千夜にとって千景は最愛の夫なのどある。


「風間ったらずっと、射殺さんばかりの瞳をして控えていたのよ」


後から千姫に聞いたその逸話でさえ、愛しさを増して仕方がなかったのだから。



120525
御産関係はうろ覚え知識です。



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