月酔酒


月の綺麗な夜には必ず、夫の傍らで酌をする。夫婦となってから、それは暗黙のうちに決められた習慣だった。

千景は、誰かと酒を酌み交わすよりも静かに杯を傾ける方が、好きらしい。たまには勧められ口にすることもあったけれど、基本的には彼に酌をするためだけに、肩を並べている。


「あなた、些かお酒が過ぎるのではありませんか?」


静かに杯を傾けながら、ぽつりぽつりとした彼の言葉を聞いていた私は、やや躊躇いながらも口を挟む。彼が酔ったところなど、滅多にみない。けれども、どんなに強くたって飲み過ぎは身体に悪いのだ。


「まだ、今日はニ本目だ」

「いいえ。夕餉の時にもお飲みになっていたでしょう」

「もうその時の酔いは醒めた…」


少しも悪びれず、なぜ止める?と不思議そうな顔をする彼には、少々頭が痛くなる。それこそ、時間さえ許せば一日中飲んでいるのではないだろうか、この男は。
だから、それを止めるのが妻としての仕事なのだ。己の身体のことなど、あまり気にかける様子のない彼だから、私がしっかり体調管理をする必要がある。
それでも、徳利を取り上げた時に切なげな顔をされると、つい甘やかしてしまう。


「…これが、最後ですよ?」

「お前が言うのでは、仕方がない」


溜め息混じりに言われるけれど、その表情はいたずらが成功した子供のそれ、そのものである。


*


「私は千景のように、飲みませんが、私のお酌で貴方は楽しいのでしょうか…」


酔いも大分回ってきた、月の綺麗な夜。腕に抱かれたままの妻は、ぼんやりと此方を見上げ、首を傾げた。
幾度も杯を傾けている俺と違い、千夜は一滴も酒が入っていない。全く飲めないというわけではなく、勧めれば少しは嗜むが、大抵は酌だけで俺ばかりが飲んでいた。


「千夜という、この上ない妻を肴に酒を飲むから、旨いのではないか」


俺にもたれながら、可愛らしい仕草をするものだからつい、からかいたくなる。けれど、言葉は真実そのものだ。元々、一人酒が好きだ。しかしこの妻だけは別で、いつでも手元に置いておきたいと心から思うのだ。


「もう…酔われているんですか?」


頬を染めて、恥ずかしそうに彼女は唇を尖らせた。拗ねたような表情は、しかし俺を煽るばかりだ。そのことに気付いてはいないのだろう。妻の身体をより引き寄せると、驚いたように身じろぎする。
見上げる千夜の紫の瞳は、とろけているかのように、夢見心地だ。仄かに紅潮する頬と相まって、扇情的である。


「この程度で俺が酔うと?酔っているのはお前ではないか」

「私は酒など、」

「クッ…酒を飲まずにも、お前は既に酔っているだろう。俺に、な」


一層顔を赤くした妻は、未だに初々しい。早く慣れれば良いと思う反面、ずっとこのままでも良いとも思った。開きかけた彼女の唇を舐めてやると、はっと我に返った妻は声を上げる。


「千景、いきなりは」

「もの足りなさそうな顔をして、何を弁解できる?」


そんな紅い頬で、ぬれた唇で、とろけた瞳で何を言われても説得力などない。全てが、俺を求めて仕方がないというのに。そして、愛しい妻がそんな様子なのに、夫である俺が平然としていられる訳がないのだ。


「千夜――愛しい我が若紫鬼よ」


勿論今夜は、まだまだ離してられそうも、ない。


120524



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -