未来は私の手の中に ――昔、まだ徳川の世であった頃に滅ぼされた里があった。その里で身分差を越えてまで結ばれた二人から産まれた娘は、その後明治の世に至り、美しい女へと育ったという。 どんな求婚も退ける深層の姫君。彼女が嫁いだのは、強引に姫を攫ったある名家の若き主。しかし二人は因縁や困難を乗り越え、互いを想い合う、この国いちばんの夫婦となったのだ。 この話は、俺の十八番である。 初対面の女を横に酒を飲む時、必ず聞かせる話なのだ。何故かというと理由は単純明快。ほぼ間違いなく、女が喜ぶ。 「羨ましい、私もそんな素敵な恋がしたいわ」 「なら、すればいい。俺がお相手申し上げるが」 「もう、いけずね。若様、御名前も教えてくれないくせに」 「俺は、名前なんかに縛られたくないんだ」 茶屋店の女性は、たおやかに笑い、すぐ話を打ち切る。しかし、気を良くして多く酒を振る舞ってくれるのである。 しかし実際、俺はあの恋物語が好きではない。それは、それが聞くほど美しい恋愛ではなかったと知っているせいか、はたまた、その末の夫婦の姿を目の当たりにしているからか。 あれは、実話なのだ。俺の両親の話である。幼い頃から、耳が痛くなる程聞かされて育った。嫁いだ当初の母は、父に恥じらってか反抗的であったとか。父もどこか、母に気を使っていただとか。 しかしそんな、初々しい時代が親にあっただなんて、俺は考えたくもない。 「何を言う。若、お前の両親は"初々しい時代があった"どころか、未だ初々しい新婚のようではないか」 「天霧小父、冗談きつい。毎朝毎夜、目の当たりにしている此方は笑いごとじゃあないですよ」 「お前こそ甘いな。その二人に、私はどれほど長く付き合っていると思う」 低く笑いながらも目がまるで笑っていない。そんな初老の男に酒を振る舞う俺も、きっと同じような顔をしている。 「本当、天霧小父には悪いことをした。母が急に、千姫様に会いたいと言い出したんだ。それで、父もひとりでは行かせぬと」 で、意気揚々と夫婦揃って出掛けたのだ。父は天霧小父との約束をすっかり忘れて。 「間が悪かった。先日、千夜様に会ったときに確認していれば」 「二度手間、取らせてすまないな」 「いや、若とサシで飲めることなど、そうはない。これはこれで、良いだろう」 天霧小父は、にやりと笑う。 「うちの倅も世話になっているからな」 天霧小父の息子と俺は、乳母兄弟のような関係である。風間一族が鬼社会の主導権を握ってはいるものの、天霧家と風間家に格差はほぼなく、当主同士も親しい。里も近いため、必然的に子である俺たちは幼い頃から同時に育てられたといっても過言ではないのだ。 だから天霧小父は、俺の二人目の親父のようなものだ。 「天霧小父とアイツはあまり、似ていないよ。そりゃあ背格好は瓜二つだが、アイツの思想は過激」 俺が生まれるより以前、人間社会では廃刀が命じられた。それを惜しい、と堂々という男である。人間の安全よりも、鬼の活躍の場が重要だと思っているらしい。 「それを言うならば、お前だ。瞳と同様、性質も母似で安心した。成長するお前が風間――お前の父に次第について似てゆく様子を恐ろしく思っていたからな」 「…言うほど、似てねーよ」 「私はお前の兄、姉たちも見て来たが、間違いなく、お前が一番二人の血を濃厚についでにいる」 俺には兄が二人、姉が一人居る。言うまでもなく、彼らも父と母の子。風間家当主の子として申し分ない血の濃さを誇っている。 特に長兄は、今や父の右腕として全国の鬼を束ねるまでの力を発揮していた。 「流石、風間の次期当主といったところか」 そう。それなのに父は、末子の俺を次期当主にと定めているのだ。長兄だけではない。次兄も姉も、鬼として立派に育ったのに、だ。 「その肩書き、嬉しくもなんともないぜ」 鬼の頭領は実力重視。末子でも、より強ければ頭領になる資格は十分。 曰く、俺は兄姉よりも素質があるという。 「鬼の頭領なんてものより、俺ァ平和に生涯を全うしたいのさ」 ただ、やる気のまるでないあたりが、天はニ物を与えずというやつなのだろう。 120424 |