花冠を君に


懐妊が明らかになり、姉夫婦は急ぎ里へ帰ることとなった。本来ならば彼も夫婦と共に帰路につくのが自然である。しかし南雲薫は、一人江戸へ残る選択をした。
全くの当て無しに浪人をするわけではない。姉の養父である勝に気に入られた薫は、その人の手伝いをする条件で下宿することになったのである。


「僕は元々風間の人間ではないし、もうしばらく自由にしていたいので」


姉にはそう告げたものの、それが本心であったわけではない。それは姉も承知だったらしく、それ以上追求しないまま、西の地へと帰っていった。

勝の言いつけは、大概半日で終わる。仕事が終わったあとは好きに過ごして良いと言われていた。
近頃の薫には、毎日のように通う場所があった。小さな門のついた、民家。その表札には「雪村」と書かれている。


「……」


人気のないのを確認して、薫は軒先に、花束を置く。そしてそのまま、姿を隠した。

この小さな家の女主人、雪村千鶴は薫の双子の妹である。ただし、それを知っているのは薫の方だけで、薫は戦乱が終わってからただの一度も、千鶴の前に素顔を晒してはいなかった。
罪悪の念か肉親の情か。一時は激しく憎んだ彼女から、彼は目を離せずにいる。薫自身、不可解に思う。もう千鶴は大丈夫だと知らされ、姉夫婦と風間の里へ帰ることだって出来たのだ。なのに、薫は帰れなかった。この先名乗るつもりは皆無。でも、千鶴を置いていけなかった。

千鶴は毎夕、北側の窓へ花を供えるのを日課としている。理由は言うまでもない。かつての仲間、恋慕の相手を偲んでいるのである。
だから大抵、薫は軒先に花を届ける。時には団子を、山菜を、置くこともあった。
勿論千鶴は、それが誰の仕業か気づいていない。しかし、その花が夕方になると生けられていることを、薫は知っているのだった。





その日も薫は、花を届けた。
綺麗に咲いた彼岸花。ふと薫は、花に見入る。美しいけれど、千鶴には似合わないと思ったのである。どこか毒々しく、修羅の貌(かんばせ)を思わせる花。それは自分にこそ似合う。

瓜二つと言われるつくりでありながら、薫と千鶴はあまり似ていない。その要因は男女の違いより、性格の差であるのだろう。

千鶴には、もっと淡い色の花が似合う。この毒々しい朱を、後ろ暗い過去を引き受けるのは自分でいい。表の千鶴、裏の薫。そうして二人で丁度良い。


「それは、貴方が?」


突然、背後から聞こえた声にはっとする。花に気を取られ、気配を感じることができなかったのである。
薫は慌て、すぐに立ち去ろうとしたが、振り向いた途端に動けなくなった。出先から帰ってきたのであろう千鶴は、自分を真っ直ぐに見ている。


「…姉さんを運んできた方ですよね。毎日、貴方が贈り物をしてくださったのですか」

「………」

「ありがとう、とっても嬉しかったの。いつも、直接御礼を言いたいと、思ってた」


ふんわり笑む千鶴を前に、薫は冷や汗が落ちる。早く去らねば。それなのに身体は痺れたように動かなかった。頭巾を被っているとはいえ、素顔を晒せばきっともう、見守ることすらできないように思った。
千鶴はふと、目を伏せる。そして、独り言のように呟く。


「風間さん――義兄さんが、帰り際に教えてくれたんです。私には本当は、双子の兄がいるって」

「―――ッ!」

「姉さんは何も言わなかったけれど…ただ、優しく笑ってた」


千鶴は、気づいている。眼前の男が自分の兄なのだと。


「いつでもいいから。でも、いつか会いにきて欲しいよ――薫」


その瞬間、薫は弾け飛ぶようにして屋根へ駆け上がる。そしてその場を逃げるようにして去った。





その夜、勝は廊下に佇む影に気づき、足を止めた。男にしてはまだ小柄なそれは、屋敷に住まわせている鬼の子のものである。
厄介な性格ではあるが、勝は彼を気に入っている。今までの環境が悪かっただけで、実際は素直な質であると勝は見抜いていた。


「薫、どうした」


名を呼ぶと、暗がりで彼が目を向けたのがわかった。様子がおかしい。まるで、初めて会ったときのようにどこか拒絶するような空気を纏っている。

(町で何か――あったのか)

自分に対して漸く心を許すようになった昨今だが、人間への憎しみは中々消えはしない。信頼は、築くのは大変だが崩れるのは容易いのだ。
しかし、こちらへ数歩踏み出した薫に、勝は心配は無用であるとすぐさま判断した。


「ねぇ…女の子に似合う、簪の売っている店を、聞いていいかな」


涙でくしゃくしゃになった顔を上げた薫に、勝は黙ったまま笑った。



120421



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