あなたとのこれから


「でもまさか、姉様が言ってた人が私だなんて、ちょっと恥ずかしいです」


千鶴がぽろりと零した言葉に、ぎくりとした。それは私が千鶴に嫉妬していた、あの件のことである。恥ずかしいのはこちらだ。ただでさえ言いにくい悩みだったのに、あろうことか本人に相談してしまったのだから。


「でも、安心してくださいね。姉様には悪いけれど私、風間さんはちょっと好きになれない部類の人だから」

「い、いえ、構わないわ。千姫にも散々、言われたもの」


それに千鶴は、千景に余程良くない思い出があるらしい。詳しくは聞いていないけれど、千鶴へのちょっかいの出し方が酷かったのだとか。
そう知っていても尚、嫉妬してしまう私は心が狭いのだろうか。


「何の話だ」


千鶴と私の和解の様子を黙って眺めていた千景は、自分の名が出たことに反応を示す。…まずい。夫婦間に隠し事は良くないが、こればかりは知られるわけにはいかない。
千鶴に誤魔化すように目配せすると、彼女は悪戯っぽい視線を寄越し、口を開いた。


「姉様が風間さんに嫉妬して、私をあなたの昔の女だって思ってた話です。風間さんをここまで想ってくれる女性、他には絶対いませんよね」

「千鶴っ!!?」


あっさりと白状してしまった千鶴に、愕然とする。何てことを言ってくれたのだろう…!


「嫉妬?」

「なんでもありません!聞き間違いです!」

「もう姉様。それでは風間さんに気持ちが伝わらないままですよ!」

「……!」


全く千鶴の言う通りである。その事で悩んで東京まで来た筈なのに、そこは改善されていないままだ。


「で、結局のところはどうなんだ?」

「ち…千景が」


震える唇を叱咤し、言葉を紡ぐ。このままではまた、思っていることを言えないままになってしまう。それでは、駄目だ。


「千鶴に手を出そうとしていたと聞いて、腹が、立ったんです」

「…何故」

「あんなことを言ったのに…千鶴の代わりだったのかもしれないと。私ばっかりこんな、千景の言動に振り回されて……こんな、貴方を恋しく想っているみたいだと思ったの…!」


一度口に出せば、押し寄せるように溢れる言葉。衝動のまま、心の内をさらけ出した。


「私は、私はいつの間にか貴方無しでは駄目になって、しまったのに…」

「そんなこと、知っている」


言葉を遮られる。手を引かれ、胸に抱かれた。愛しむように髪を梳かれ、くくく、と低く笑う声に高ぶっていた気が収まっていく。


「わが妻は酷い天の邪鬼だ。そんなこと、とうに知っている」

「申し訳、ありませ…」

「謝るな。言っただろう? 心も必ず、捕らえると。もしまだお前が俺のものになっていないとしたら、こんな遠くまで旅に出したりしない」


顎を掴まれ、視線が絡み合う。


「随分前から心身共に、千夜は俺のものだ」


相変わらず、尊大な物言い。その言葉は決して甘くないし、優しくもない。それなのに。

それだけで私は、どうしようもなく、満たされてしまった。
もうそれ程までに、彼に溺れている。
日ごとに私は、それを認識させられるのだ。


「あっ!」


急に、私たちを眺めながらにこにこと笑っていた千鶴が声をあげる。何事だ、と私たちが顔を見合わせると、彼女は咳払いをし、居住まいを正すと切り出す。


「私、医者として姉さんに言わなければならないことがあります」


真剣な表情と口調に、思わずこちらも居住まいを正してしまう。もしかして、倒れた時に何か問題があったのだろうか。神妙な雰囲気に不安がよぎる。

そして千鶴は、宣告を下した。


「ご懐妊、おめでとうございます」


一瞬、時が止まった。

目を見開く私に、従姉妹は満面の笑みで頷く。夫は私の肩を抱き、よくやったと興奮気味に呟いた。

(懐妊…私、が千景の子を?)

そこまで来て、ようやく感動が追いつく。
重ねた千景の手を握ると、強く握り替えされる。そんな些細なことにさえ、幸せを感じる。

(母親に、なる)

不思議な気持ちだった。勿論、嬉しい。けれど不安も同じくらいある。
思い浮かべたのは母の姿。身分違いと知りながら父の子を孕み、私を産んだひと。その時の彼女に、私は追いついたのだ。

(あ………っ)

恐る恐る、腹に手を当てた。
それだけではまだ、新たに宿ったという命の有無はわからない。けれども今、どくん、と小さな音を感じたような気がしたのだ。


――時は明治。冬が明け、春がやってくる。古い時代は過ぎ、世は既に新たな体制へと変わった。
この先、どのような国が産まれるのはわからない。けれど、この子はその中で生きていくのだ。私とも私の母とも違った、人生を。



それは、そんな新たな時代の鼓動だったのかもしれない。



120312



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