焼け爛れた劣情と一緒に


政略結婚だったのだという。それぞれが目的成就の為に、打算的に結ばれた契り。けれど彼女はそれで良いと思った。守りたいものが守れる、だから一切の後悔はなかったのだと言い切った。


「それなのに彼は最後の最後で、私を好いているといった。愛しているから、本当の夫婦になりたいと」

「嫌、だったのですか?」

「いいえ、嬉しかった。――ただ彼には、その前にも求婚した方がいたの。愛情をもってのことだかはわからない。打算的な部分も大きい話だった」


躊躇いがちに、しかし訴えるように千夜さんは続ける。


「私はいわば、彼女の身代わり。それで良い筈だった。納得していた。…けれどいつの間にか、私はこんなにも焦がれていたの」


彼女の夫である人は、彼女をよく愛している。周囲にも、仲睦まじい夫婦と映ってるらしい。だが彼女の気持ちは、ついていけなかった。
仲睦まじいのは、あくまでも振り。駆け引きの関係。そう思っていたから、彼女は自分の思いを彼に伝えられないまま、今に至っていまったのだという。


「私は彼女に重ねられいるのではないか、だから好いているなどというのではないか…そんな下らない思考に捕らわれて、私は彼に上手く笑えもしない」


肩を落とす千夜さんは、とても小さく見えた。私の方が年下だろうに、その時の彼女は幼子のようで。少々微笑ましく、感じてしまう。


「千夜さんは、その方をとても愛していらっしゃるのね」

「……わからないわ」

「きっと、そうだと思います。旦那様が他の女性に目を向けていたことや、その方と比べられてしまうのではということで不安に思うくらいに、千夜さんは旦那様を好いている」

「そ、んな…」

「肩肘、張る必要ないと思います。素直に、甘えて良いのではないでしょうか」


私の言葉に、彼女は戸惑うように瞳を揺らす。話を聞く限りでも、千夜さんは意志のしっかりした人のようだ。だから、頑張って頑張りすぎて、疲れてしまっているのだ。


「私なんかが偉そうに、言うことではないかもしれませんが…千夜さんは素敵な女性ですもの。きっと旦那様も、昔の女性よりも千夜さんの方に、今は首ったけですよ」


思ったことをそのまま伝えれば、千夜さんは真っ赤になって俯いてしまった。けれどもすぐ顔を上げ私を見つめると、悲しげな顔をして両手で顔を覆う。


「…ごめんなさい、千鶴…私、私、貴女にひどいことばかりしているわ。こんな相談するだなんて」

「千夜、さん?」

「許してなんていいません。でも、夜が明けたらすぐにお暇しますわ」


彼女の瞳から、大きな水滴の粒が溢れていた。ぽろぽろと落ちてゆくそれを、一瞬綺麗だな、と場違いなことを思う。が、我に返り彼女を宥める。


「落ち着いて下さいっ、私はなんともありませんっ」

「落ち着いて、います。お恥ずかしいですわ、取り乱したりして。…でも、ありがとう。千鶴さんの言葉で私、前に進める気がします」


どうしたというのだろう。打ち解けてきたと思ったのに、急にまた壁を作られてしまったように感じる。

困惑する私が言葉を失っていると、千夜さんは柔らかく微笑んで、頭を下げる。


「本当に、ありがとう」


目尻には、まだ涙が残っていたが、その表情は予想外に穏やかだ。そして寂しいものだった。

(どうすれば、いいの)

このままではいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴る。このままでは千夜さんとは、きっともう会えない。

(それでは、だめ)

強く思う。心が焦り出したその時、戸を叩く音が聞こえた。


客だろうか。既に日は暮れていて、普段ならば訪ねてくる人などいない。
私は千夜さんの様子を気にしつつも、とりあえず出なければ、と玄関へ向かう。夜更けに女しか居ない家。用心に越したことはない、と恐る恐る戸を開く。


「―――!?」


驚きのあまり、私は硬直してしまった。恐れていたような不審者ではなかったが、しかし。


「久しいな、雪村千鶴よ」


煌びやかな衣に身を包んだその男。金色の髪に、血のように赤い瞳。それは、美麗な鬼であった。蝦夷で分かれて以来、だ。


「風間さんッ…どうしてここに!」

「妻を、迎えに来た。邪魔をする」


突然の訪問に動揺した私をするりと追い越し、彼は家にあがり込む。はっとした私は、慌てて後を追う。
"妻"の言葉にどきりとした。彼が口にするそれには、あまり良い印象がなかった。一体、何をしに来た…?


「風間さんッ――!」


奥の座敷で彼は足を止めていた。閉めておいた襖は開け放たれている。声を上げかけた私は、その光景に口を噤む。
彼の向こう側には、泣きはらし、目を赤くした千夜さんが見えた。彼女は零れ落ちそうになるほど、目を丸くして彼を凝視していた。


「……千景……ッ?」


聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりなか細い声で、悲鳴のような音が紡がれる。

それに答えるかのように、風間千景は、唇を笑みの形に歪めた。


120214



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