花は褪せども空は蒼し


「本気で、人を愛したことがおありですか?」


突然運び込まれてきた女性の名を、千夜さんといった。
彼女はどこかの名家の奥様といった風体で、口調やしぐさも上品なものだ。はじめは吃驚したようにこちらを見つめていたものの、私のことを知っていたようで、すぐに打ち解けた。

彼女を無理やり引き止めてしまったことには、自分でも驚いている。確かに検査もしておきたかったし、安静にしていた方が良いけれど、それはどうしてもではない。
「連絡をすれば迎えがくる」と言った千夜さんは、やはりいいところの奥様なのだろう。お家に戻り、ちゃんとした医師に診てもらう方が確実だと思う。

それでも引き止めてしまったのは、たぶん、寂しかったから。私は、自分以外の人と共にいることが嬉しくてたまらなかったのだ。

千夜さんは、不思議な女性だった。一緒にいて、とても心が落ち着いた。彼女の紫苑の瞳は美しく、どこか懐かしく思えた。
私も普段は、女性であっても見ず知らずの人をいきなり泊めたりなどしない。でもうっかり、その"懐かしさ"に絆され、彼女を泊めることにしてしまったのだ。


そして投げかけられたのが、冒頭の言葉である。



「ええ……あります」


ややあって、私は答えた。

――千鶴。

目を閉じれば未だに、自分を呼ぶ声が聞こえるような気がする。もう二度と聞くことのできないそれは、しかし心の中で幾度も再生した声だ。


「もう、居ない人なんです」


未だに、焦がれている。いつだって、私は彼を求めている。もう決して会えない、それでも。


「私はあのひとを愛していた…その想いは、変わらないわ」


引き離されたこの運命を、一時は呪いもした。嘆き苦しんだ。でも、いつしか思うようになったのだ。そもそも、混じり合うのが奇跡のような運命だったのだ。最愛の人に、出会えただけ私は幸せだったと。

いずれ彼よりも、もっと愛する人ができたとしても。彼との思い出を私は、ずっと抱えて生きていくのだと思う。


「そう…。素敵な恋をしたのですね」


ぽつりと、千夜さんは淡く笑んだ。
彼女の表情は、私の全てを知っているのではないかと錯覚させる。知って尚、包み込むような温かさで私をくるんでくれている。そう思わせられた。

素敵な女性。だから、どこか苦しげに笑う千夜さんを、私は放っておけなかった。


「どうして、そんなことを聞いたのでしょう。…私にも、千夜さんの悩みを聞かせてくれませんか」


千夜さんは、弾け飛ぶような勢いで私を見た。その顔は驚きに染まっている。女の勘、とでも言うのだろうか。ただ、彼女が何か悩みを抱えていることは明らかだ。そして私は彼女の助けになりたかった。彼女とは出会ったばかりで、何故こんなにも彼女が気になるのかは自分でもわからない。けれど、彼女を救いたいと思った。今、そうする必要があると思った。

だから、渋る千夜さんを説き伏せたのだ。始めは「悩みなんて、」と言葉を濁らせていた彼女だったが、日が暮れる頃になり、ようやく折れたように息を吐いた。


「私は…夫から逃げてきてしまったのです」


無理やり絞り出したような、声。千夜さんは観念したように語り出す。


120214



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