真に醜き有様よ 「…なんで俺が、こんなこと」 舌打ちしながらも、従っている自分が呪わしい。千夜に付き添って東京に出てから、薫は彼女の養父である勝に、良い雑用係として使われている気がしてならなかった。 第一、高貴な鬼である自分が人間なんぞに従う道理など微塵もない。本当はすぐにでもバラしてしまいたいのだが、義姉の手前、そういうわけにもいかない。 勝は、人を自分の調子に乗せるのがうまかった。嫌悪を露わにする薫に対しても決して特別扱いなどしない彼は、話している間にあれよあれよと薫をその気にさせてしまう。誰に対しても彼はそうだ。それは才能というしかない。 奇妙なのは薫の方である。いくら千夜の手前とはいえ、気性の荒い彼は本来誰にも従ったりはしない。だというのに、どういうわけか薫は勝に使われることを、嫌とは思えなくなっているようである。口先では反発しながらも、近頃はより従順になったようにも見えた。 それは、自分自身でも気づかない変化、なのかもしれない。 お使いと称された勝からの用事を済ませた薫は、小さな甘味処の暖簾をくぐる。千夜と待ち合わせしているのだ。あたりをぐるりと見渡せば、聞き覚えのある声がした。 「薫、お疲れさま」 既に席に着いていた千夜は、手を振っている。薫は正面に腰掛けた。 「早かったんですね、姉上」 「ええ。薫があらかじめ、色々教えてくれていたから、すんなりと事が運んだのよ」 色々、に含まれる内容に顔をしかめる。 薫の千鶴に対して行った行為は、誉められるものではない。結局直接的な手は下さなかったものの、当時彼は、千鶴と新選組を苦しめようと暗躍した。女装した姿で会ってもいる。また、千鶴を育てた綱道と手を組んで羅刹の世を作ろうと画策したことも記憶に新しい。全てが中途半端に潰えたこととはいえ、それを行った事実は変わらない。 しかし千夜はそのようなことを全て理解した上で、今回の旅の同行者に薫を選んだ。今まで、全幅の信頼を寄せられたことなどない。身内殺しの汚名はどこまでもついて回る。はぐれ鬼だと見捨てられて当然なこの身。それなのにそうならないのは、千夜の力だ。薫は、千夜には頭が上がらない。 「それで、どうだった?」 「近所の人から話を聞けて。ここでは…幸せに暮らしていたみたい。今も、順調だって」 安堵したような千夜の吐息に、薫は適当に相槌を打つ。それから疑問を投げかける。 「姉上…あの子には、会わないの」 その問いに、姉は弟を見つめた。それから僅かに視線を逸らし、唇を引き締めて千夜は立ち上がる。 「薫、少し歩きましょう」 薫に引っかかっているのは、姉が千鶴に会おうとしないことだった。 気持ちもわかる。薫とて、千鶴に兄であるとは名乗っていない。勿論復讐心も手伝ってのことだが、まず、どんな顔をしていいのかわからないのだ。 けれども、千夜の千鶴を避ける様子は、それとは些か異なるように思えた。薫でさえ間近でよく見たいと思ったのに、彼女は徹底して近づかないよう細心を払っているのである。自分が現れた時、躊躇なく抱き寄せた人とは思えない。 「ねぇ薫。千鶴は、私たちなんかよりずっと、ずっと強いわ」 人気のない並木道。ぽつりとこぼれ落ちたのは、彼女の本音だろうか。 「私、何しているんだろう。千鶴に、助けて欲しかっただけ」 半歩前を歩く彼女に、薫は言葉を返そうと唇を開く。 その時だった。 千夜の身体がぐらりと傾き、崩れ落ちたのだ。慌てて薫が支えたものの、立っていることすらできないように、千夜はその場にうずくまった。 「姉上ッ!?」 声を上げ、身体を揺するが返事はない。ただ辛そうな呼吸を繰り返し、眉間にしわを寄せている。 「誰か…」 辺りを見回したが、そこには人影ひとつなかった。勝の邸宅へも遠い。 (一体どうすれば…) 思いを巡らす薫の脳裏に、一カ所だけ、ある場所が浮かんだ。僅かに躊躇する。しかし薫はすぐに千夜を背負い、走り始めた。 120117 |