緩やかに温もりを抱く


見慣れた筈の屋敷を、よそよそしく感じた。
留守にしていたのは、たった半年と少しである。けれどその僅かな期間に、私の周囲を取り巻く状況は大きく変化してしまった。そのことが実家への違和感を、感じさせるのかもしれない。


風間の里から幾度か文は出していた。勿論、この度の帰郷も知らせてある。しかし、文にしたためられるのはほんの僅かな情報のみであり、決して全てを伝えられなどはしない。それは、東京から送られてきた文にも言えることである。
養父に宛てた文には、鬼のことは内密に伏せておく必要があった。私は養父に、まず風間と婚姻した事実のみを伝えた。決して無理やりではなく、自ら望んだことだと言い添えて。養父もまたそれを了承し、お前の意志ならば祝福するという内容の文を寄越した。

思い返せば養父は、私が風間の里へ行くことを快く思っていなかった。私が人間として平和に暮らすことを願ってくれていた。父は今度の勝手な婚姻をどう捉えただろう。疑っているだろうか、呆れているだろうか、怒っているだろうか。

それは文面からは読み取ることが出来なくて、私は――父の反応を怖く思っているのである。





「長らく、留守にして申し訳ありませんでした」


突いた手は、緊張のあまり震える。まるで粗相をしでかした幼子のように、ただただうなだれ、養父の言葉を待つ。
向かいに座った養父の表情は伺い知れない。微かに、彼が身じろぐ気配がする。


「この、不良娘が」


沈黙の末、静かに投げかけられた声。思わず身を硬くする。背筋がすぅと冷たくなって、今にも逃げ出したくなる気持ちを懸命に抑えた。養父が私を責めるのならば、私はそれを甘んじて受けよう。どんな非も自分にあることはわかっているのだ。血の繋がりのない私を何年も養い育ててきた養父の気持ちを、行為を、踏みにじったも同然なのだから。



――しかし、与えられたのは私を咎める言葉でも詰る言葉でもなかった。


「心配かけやがって。だが――幸せそうでなによりだよ」


いつの間にやら目前まで迫ってきていた養父は、何の躊躇いもなく私の肩を包む。そして顔を上げた私を見て眉尻を下げた。


「義父さま…養父さまごめんなさい…!」


考えるよりも先に、言葉が零れた。そして縋るように養父に抱きついた。優しい養父の瞳に、涙が溢れる。泣きじゃくり、そして漸く気付いた。
風間の里に入り、婚姻し、雪村の名を背負うことを決めた。苦には感じなかったのは、それが自分の使命だと思ったから。けれども本当は心細かったのだ。ずっと気を張っていたから、気付くこともできなかったのだ。
そんな私の気持ちを理解したように、養父はただ私の背をさすってくれた。



*



千景と契りを結んでから、もうふた月ばかり経っている。言うまでもなく、私には千景に誘われ天霧とここを立って以来の東京である。


「千景は今、少し手が離せないの。私も本当はもっと早くに帰りたかったのだけれど、なかなか出してもらえなかったんです」


急な婚儀が終わったと思えば、迫る師走の慌ただしさ。ただでさえ、人間界からの完全な離脱を目論む我々鬼は、人間の年号が明治に変わって以来、心休まらぬ日々を送っている。
この度東京への帰還を実現できたのは、私が「若紫鬼」――千景の妻の名のもとに、強引に押し切ったからに過ぎない。


「天霧とかいう、あの男も居ないのか」

「ええ。今は風間に身を置いているけれど、彼も天霧の頭領だから。でも養父さま、心配は要らないわ。弟が同行してくれたのよ」


しばらくして気持ちの落ち着いた私は、向かいの養父から視線を外し、閉じられた障子に目を向ける。気配を殺してはいるが、そこに彼がいることは承知済である。小さく声をかければ、彼は私の数歩後ろまでやってきて、にこりともせずに頭を下げた。


「…薫です」

「こりゃあ、たまげた。千夜によく似ている。もしやこの子は…?」

「実の従兄弟です。でも今は土佐南雲の里を継ぎ、頭領の一人で立派な鬼なのよ」


ね、と振り返って同意を求めると薫は気まずそうに視線をさまよわせている。


「…姉上、あんまり僕の事は気にかけないでよ」


ぽつりと呟いた声には、僅かな動揺が感じられた。


「薫か、よく来たな。千夜は俺の娘、お前は千夜の弟。ならば、お前も俺の息子同様と言うわけだ。心置きなく、寛いでいけばいい」


薫は、返事をしない。けれども養父は薫を気に入ったようで、剣に興味はあるかとか、学問はするかとか、色々投げかけている。
薫は始め、人間でありながら私を育てた養父を軽蔑しているようだった。道中でも幾度か、養父を慕う私に疑問を口にしていた。薫は千景同様に、根っからの鬼である。だから養父がどうと言うよりも、人間が好きではないのだろう。もっとも、彼は鬼も嫌っている節があるのだが…。
兎も角、私には立派な両親が居るけれど、ここまで育ててくれた養父もまた、私の父なのだ。それを理解出来ないと、薫はいっていた。


「薫、遠慮なんてしなくていいわ」


いいながら私は、弟の姿に頬が緩む。薫は戸惑っているように見えた。幼い頃に親を亡くし、妹と離れ、虐げられるようにして育った彼は今まで十分な愛情を与えられた記憶などないだろう。

(思った通り)

養父は、まるで息子にするように薫に接している。自分も経験したことだから言えるのだが、養父は人の警戒心を解くのが上手い。きっと薫はすぐに、折れてしまう。

(少しでも、薫の"歪み"を正せれば)

それは、僅かな滞在の同行者に薫を選んだもうひとつの理由だった。


「だが、千夜。遙々ここまで帰ってきたのは、俺に会うためじゃねぇだろ。鬼の頭領の御台様が、そうそう遠出なんかできるわけねぇしな」


養父の言葉に苦笑する。やはり彼は、頭が良い。その通りだった。風間家の人間は、私が外へ出るのを好ましくは思わない。まだ、跡継ぎも出来ぬ前に死なれでもしたら困ると、思われているようだった。
いくら私が養父に黙って婚姻したとはいえ、養父に西国まで来てもらうことだってできたのだ。それをわざわざ東京まで帰ってきたのは勿論、別の理由があるから。


「実はね養父さま。薫の妹…千鶴は東京にいるの」


思いを馳せるのは、遠い日の幼子の姿。薫も思うところがあるのか、少し顔を曇らせた。


「彼女の幸せを、私は見届けたいのだわ」


111215




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