麗らかに、春


温かな日差しに誘われて屋外に出てみたものの、刺すような冷たさが小さな身体に吹き付け、彼女は思わず身震いをした。
やっと春が訪れたのかと思ったのだが、まだ少し早かったようだ。見上げた枝も丸裸のままで寒々しく感じる。期待した分だけがっかりしてしまった自分に苦笑すると、大きく伸びをして雨戸を開けにかかる。

(まだ春ではなくても、もう冬ではないよね)

井戸の水を汲み上げながら、思う。
冬があけた。それだけで嬉しい。さっぱりとした空気や町を覆う雪も嫌いではないけれど、一人家の中で過ごすことが多くなってしまう冬はちょっとだけ、寂しいのだ。

(…慣れっこだと思ったのにな)

彼女の半世においては、大勢で過ごした冬の数の方が圧倒的に少ない。けれども、あまりに賑やかな冬を知ってしまった後では、一人の冬の静さを痛感せざるを得ないのだった。

ふと、何気なく縁側に目を走らせて、どきりとした。そこに、人影を見たような気がしたのだ。身体が強張る。しかし瞬いた先には誰も居なくて、なぁんだと息を吐いた。

もう随分時は経ったように感じるけれど、未だに彼らの気配を、無意識に探してしまう。たったの二年だ。北の地で彼らの終焉を目にしてから、まだそれだけの時間しか経っていない。傷は癒えたと思っても、うずく心がそうではないと告げる。時には頭痛や嘔吐を伴うそれに苦しみながらも、しかし彼女は辛いとは思わなかった。

(苦しいけれど、嬉しくも思う。この痛みがある限り、私は彼らを忘れないから)

恐ろしいのは、忘却だった。
いつの日か全てを思い出せなくなってしまったら。徐々に薄れていく記憶。靄がかかったような顔。遠ざかる背中――自分が忘れてしまったら、誰が覚えているの?彼らの意志を、苦しみを、優しさを。
世間では、逆賊と壬生狼と罵られ、犯罪者と認知されている。そんなことないのだ、それだけではないのだと、声高に主張することもままならないこの世。せめて自分だけは覚えていなければならないのにと、彼女は焦燥に駆られる。

(――…いけない、こんな弱気じゃ、怒られちゃう)

パシンと手のひらで頬を挟み、彼女は顔を上げた。



「雪村先生?」



唐突に投げかけられた問い。
驚きに跳ねるかのように、彼女は振り返る。一瞬、また彼らの残像を見ているのかと疑った。庭の端に人影。驚くより先に眉を潜めてしまったのは、影が頭巾のようなものを被り、その表現が少しも伺えなかったせいかもしれない。


「…雪村先生、ですか?」


影が再び口を開くと、彼女はようやく我に返った。


「え…えっと…?」

「勝手に…すみません。戸口で声を掛けても、反応がなかったから入らせていただきました」

「あっ…!ごめんなさい私、ぼうっとしていて」


慌てて頭を下げると、影は戸惑ったように首を振る。
その人は、随分と小柄なようだった。自分と同じくらいの体格だ。けれども、声質、振る舞いから男性らしい。


「それで、私に何かご用でしょうか」

「貴女の噂を聞いて…医者だとか。実は早急に、看てもらいたい人がいるのです」


彼は少し早口で言うと、背後へ視線を向ける。つられてそちらに目を向けると、女性がぐったりと、木の幹にもたれるようにして座り込んでいた。


「! 大丈夫ですか…!?」


すぐに走り寄り、女性の顔を覗き込む。そして、息を呑んだ。



―――美しい紫の瞳。



覚えている筈のない記憶が蘇るような、そんな、不思議な感覚に陥る。
そして千鶴は、ゆっくりと女に手を伸ばした。


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