君に溺れさせて 杯を交わす。 ただ形式に従い、契る。 あっという間であった。式が始まってからここまでの工程を、よく覚えていない。 ただ、何対もの目が、私を凝視していることを感じていた。ある者は驚きを、ある者は感心を、ある者は嘲笑の色を湛えて私を見る。まるで見世物だ。身に纏った白無垢は、道化の衣装のよう。あんなに憎み、厭うた鬼に囲まれていると思うと、気が狂いそうだった。あちらこちらで囁かれる"紫の上"の名に、目眩がする。 正気を保っていられたのは、彼の存在があったからだ。彼は自ら主役として注目を集め、参列者を圧倒していた。 (これで私は風間…いえ、千景の妻) 実感が湧かないのは、これが急な婚姻だったからだろうか。それとも、婚儀など皆、このようなものなのだろうか。 (わからない、でもわかる必要もないわ。もう逃げも隠れも、できないのだから) この先への不安が無いといったら嘘になる。覚悟を決めたといっても、本当は不安だらけだった。鬼に関しては、右も左もわからぬ赤子同然だ。それなのに、身体に流れる血には、誰よりも鬼らしく振る舞うよう期待されている。こうして、ただ座っているだけでも辛いのに、どうしたらいいのだろう…。 (千景は私を守ってくれるというけれど) 優しく触れた唇、抱き締められた時の力強い身体。抜き身の刀身のようでありながらも、その瞳が酷く優しく私を見つめることを私は知っている。美麗で気高い鬼に慕われ恋われていることは、私の心に甘い刺激を与えている。甘美なそれに、愛おしさすら感じた。 (心と身体が矛盾している) 否、理性と本能か。 鬼を恐れる私がいる一方、千景に焦がれる私もいる。今更、母との約束がどうとか、雪村や千鶴を守るためだとかいう話をするつもりはない。そんな、理由付けは意味を為さない。 私は、未だに鬼が怖いのだ。私から何もかもを奪った鬼が。また奪われるのではないか、全てを失う日がくるのではないか。…昔とは全く境遇が違うとわかっていても、思わざるを得ない。克服しなければならないのだ。鬼への恐怖に。 「…案ずるな」 目を伏せた私に、千景は低く囁く。私にしか聞こえぬように投げかけられたその言葉に、ただ頷いた。 式も終わりに近い。 針の筵のようなこの祝いの席からようやく、解放される。そうすれば、大丈夫。私はきっと乗り切れるはずだ。 自分を奮い立たせるようにして唇を結び、伴侶となる男へ向かい、微笑んだ。 その時だった。 千景は突然、手を打ち鳴らす。予定にはない行動だ。風間家の者たちも目を丸くする。 千景はゆっくりと口を開く。 皆、それを見守るしか無かった。 111013 |