ほんの少しの虚しさを残して


自分より体温の低い手が腕に触れ、私は我に返った。


「ね、姉上。そうしようよ」


甘えるような声に合わせて、白い指が腕を這う。ゆるゆるとしたその動きがくすぐったくて身を捩ると、上目遣いで挑戦的に、従兄弟は私を見つめた。


「まだ間に合う。風間なんかやめて、俺にしてよ。そうすれば風間に頼る必要なく、無事に雪村を再興できるでしょ」


形の良い唇が弧を描き、蠱惑的な笑みを浮かべる。妖艶とでも言えばいいのか。年頃の男性にしては幼い彼の風貌に似合わぬその表情が、かえってその色を引き立てる。
いつの間にこのような表情を取るようになったのだろうと、薫と再会したあの時から、日々目を見張る思いだ。離れていた時間はあまりにも長く、一朝一夕ではとても埋めることはできない。京では女装をしていたとも聞くし、このように彼に迫られたら老若男女、ころりと騙されてしまうのだろうとぼんやりと思う。


「従兄弟で婚姻なんて、よくあることじゃない」


黙ったままの私を訝しむように、薫はずい、と距離を詰めた。儚げな表情ながらも瞳は爛と輝いている。


「ねえ、姉上?」


流されまいと彼の色仕掛けには気づかぬよう努めていたけれど、薫のなまめかしい吐息を頬に感じて、思わずたじろいでしまう。
と、その時急に薫の身体が後方へと引かれた。不服そうな彼の目線を追うと、目をつり上げた千姫が薫の衣服を掴んでいた。


「貴方ね。いきなり現れて、千夜に馴れ馴れしすぎじゃないかしら」

「何?お前と違って俺は身内、部外者はお前だろ」

「"元"身内でしょう。今は南雲家の頭首、貴方も雪村家ではないわ」


君菊さんが、憤る千姫を後ろから引き止める。けれど彼女は、それでも睨むように薫を見つめた。
千姫は千鶴と懇意にしていたようであるし、薫は千鶴に随分意地の悪い事をしでかしたらしい。それを知る彼女は、鬼同士、動乱期のことは水に流そうとなった今でも薫を良くは思えないのだろう。
こちらも、今にも千姫に斬りかかりそうな薫の頭を撫でながら、苦笑する。


「薫には、もっと素敵な女の子がきっと見つかるわ。風間が、行き遅れた私をもらってくれるだけで有り難いのよ」

「千夜は全然、行き遅れてなんかないわよ」

「ありがとう、千姫。でも、選べる立場じゃないことは十分承知しているの」


自分を卑下しているわけでも、悲壮感に酔っているわけでもない。事実である。けれども、それを聞いた千姫と薫は、納得できないというように眉尻を下げた。


「俺は本気で姉上――千夜が欲しいよ」


薫の真剣な瞳に思わず口を噤む。けれどそれに答える前に、今度は私の身体が後方へ引かれた。


「残念だな。既に売却済みだ」


そのまま、腕の中に引きずり込まれた私が見上げると、相も変わらず不敵な笑みを浮かべて風間千景が薫に言い放つ。いつの間にやってきたのだろう。見れば背後には、天霧もいた。


「風間千景、久しいね。最もあんたは俺のこと、知らなかっただろうけど」

「貴様が雪村千鶴の周りをうろちょろしていたこと位、知っていた。鬼にあるまじき馬鹿な真似に、関わる気が起きなかったがな」


風間の言葉に、薫は顔を歪める。けれども風間は気にも止めない。


「せっかくだ。俺と千夜の祝言、目に焼き付けていくと良い」

「…なんて傲慢なやつ。姉上の気がしれないよ」

「何とでも言え。なんなら"兄上"と呼んでくれても構わん」

「誰が呼ぶか、気分悪い」


若干、物騒な雰囲気は漂っているものの、思ったより険悪な様子ではない。仮にも、私の夫と弟分なのだ。もし互いに刀を抜くような関係になってしまったらどうしようかと、少し危惧していたのだ。


「千夜様、日取りが来週に決まったのですよ」


そっと天霧が告げると、千姫が目を丸くして声をあげる。


「えっそんなに急に?!」


彼女が驚くのも当然。風間家頭首の婚姻ともなれば、大々的に行われるのが通例。短期間では出来る準備も限られてくる。けれども、私が殆ど天涯孤独のような身の上であることが幸いして、本来の何行程かを省くことができるとか聞いていた。
そもそも今回は、風間家、ひいては鬼の存亡がかかった事態である。婚姻ごときに多大な時間を割くわけにいかないだろう。


「…わかりました。詳しい日取りは後で確認させて下さい」


私が承諾を示すと、薫は私に問う。


「姉上、いいの?」


心底心配するような彼の瞳に、精一杯の笑みを浮かべる。私は、簡単に取り消せるような覚悟など持ち合わせていなかった。




110802



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