最早痛みすらも解らぬ


闇を手探りで進むような、そんな半生だった。

産まれてから、良い事など何ひとつとしてなかったように思う。否、そもそも産まれてきたのが間違いだったのだと、喉元に切っ先を突き付けられるように彼は育った。
男鬼だからと蔑み虐げられる日々。女鬼が欲しかったのだと、だからわざわざ滅びた里の子など引き取ってやったのだと馬鹿の一つ覚えのように繰り返す大人たち。純血の鬼として生を受けながら、貰われ子の彼は里のどの鬼よりもぞんざいに扱われたのである。そんな連中に育ての恩や愛など感じる訳がなく、常に憎しみと復讐を抱きながら時を待つように彼は息を潜めて生きた。

(単純な奴らだ。馬鹿だ)

成人と同時に、彼の人生は漸く動きを始める。まるで、それまでの恨みを晴らすかのように彼は躊躇いなく、刀を抜いた。

(少し下手に出れば、すぐ調子に乗る)

圧倒的な力。殺戮同然。気づけば里には彼ひとり。それは彼が自由を手に入れた瞬間だった。

(探さなければ、彼女を)

そして一人、闇に溶けるように人の世へ紛れる。


――それは未だ、幕末と呼ばれる時代での話。




*




私と風間の婚姻は、年が明けてから執り行なうこととなった。婚約を発表した当初はかなりの騒ぎになったものの、ひと月経つこの頃には、徐々に落ち着きを取り戻しつつある。

風間の権力が確実なものになると、目を輝かせる者。裏があるのではと勘ぐる者。私の出自を疑う者。見物だった。始め、私の存在に難色を示していた風間家家老たちの、打って変わったような態度。各地からの使者の品定めするような視線。

(中には私に、媚びを売る者まで居る)

可笑しくて、堪らない。
これが権力に固執する鬼の世なのかと。これが母の厭うていた世界なのかと。それは想像以上に下らなく、陳腐な世界だ。自分が女鬼で、一族存続の道具としてしか見られていないということを嫌でも意識させられた。


「しかし、年明けまで長くねぇか?」

「いえ、私自身も一度江戸に帰らなくてはなりませんから。養父に伝えていないの」


私にあてがわれた部屋には、厳重な警備が敷かれた。婚姻前なので風間と部屋を共にする訳にはいかず、けれども頭首の花嫁に何かあったらたまらない、ということらしい。けれども私は無理を言い、一部の鬼の入室は許可してもらった。幾らなんでも、部屋に一人監禁されるつもりは無かったのだ。
そんな訳で、許可されたうちの一人、不知火はだらりと部屋で寛ぎながら私に話しかける。


「それにしても、よくあんな奴に嫁ぐ気になったな」

「不知火。流石に風間に失礼だろう」


後ろに控える天霧は、言いながらも否定はしない。基本的に忠実である彼もこの態度だ、風間は余程、女性関係に信用が無いらしい。確かに良い性格とは呼べないが、私には其処まで嫌な男とは思えない。首を傾げたのと同時に、襖の外から声が掛かった。


「千夜様。お客人がいらっしゃっています」


婚約の祝いにと、私に面会を求める者は少なくなかった。その多くは各地の名家の鬼であった。雪村家の生き残りという噂を聞きつけて真偽を、そして私の力を確かめに来ていたのだろう。僅かに面会もしたが、大抵は風間や天霧が断りを入れてくれている。


「容易に面会などさせられない。お断り申し上げろ」

「ですが、どうしてもと言って聞かず…千夜様のお知り合いであるようですし…」

「知り合い?どちら様ですか?」


意外な単語に思わず聞き返した。
里が滅びてから鬼から離れて暮らしていた私に、鬼の知り合いなど居る筈がない。天霧も眉根を寄せて先を促す。


「土佐、南雲家の頭首の方です」


――あなたは、南雲の…

不意に遠い日の、母の声が蘇る。
土佐南雲家。その名には覚えがあった。あの日の鬼、里に紛れ父を殺し、母に致命傷を負わせた鬼は、南雲と名乗っていなかっただろうか。


「…わかりました。今、参ります」


私はひとつ呼吸をし、席を立つ。
不思議と、気持ちは落ち着いていた。


110606



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