これより後へはもう引けぬ



朝餉の席で、風間千景に部屋へと招かれた。

私と同じく各地の鬼の頭領(またはその代理)として滞在していた者たちは、風間の言葉にざわめく。この場の主たる風間が、公衆の面前でひとりの鬼を特別に扱うというのは、その鬼が他の者に比べ格上と断言するようなことだ。
しかも、私は女鬼。それも既に滅びた雪村の血筋。その意味は重い。
風間の誘いを承諾した私に、隣の千姫が顔を曇らせた。


それからしばらして、天霧が私の客室へ迎えに来た。


「少し待ってくださいな。紅を差しなおします」


微笑んだ私に、天霧は開きかけた口を閉じる。用件は聞かずとも明らかだ。だから、朝餉後にすぐ着物を替えた。今着ているのは、白地に金の刺繍の着物と紫苑の帯。風間が私の為に誂えさせたものだ。
用意が済むと天霧を後に従え、廊下を進む。顔色ひとつ変えずに。



私は今日、正式に求婚される。






部屋の主は、上座で堂々と私を待ち構えていた。私が彼の前に座るのを見届けて、天霧は退出し戸を閉めた。
風間千景は、黙ったまま手元に目を落としている。視線の先にあるのは書簡のようだった。しばしの沈黙が流れる。やがて風間は興味を無くしたように書簡を放り投げた。


「下らぬ」


一言吐き捨て片膝を立て脚を崩した風間は、そこでようやく私を見つめた。

私は一礼するとすぐに顔を上げ、彼を見返した。このような時、声をかけられる前に顔を上げるのは行儀が悪い。無礼者、と斬り殺されてもおかしくなかった。無論、それは承知である。
客人の身分であるから、下座に座るのは良い。でも風間と私は、血統的には対等。私がへりくだって彼に媚びる必要はない。
ただ、対等でありたかったのだ。特に今回の用件においては。婚姻に関して、この国では圧倒的に男の方に決定権がある。昔からそれは変わっていない。女は常に政治の道具だ。
それが、嫌だった。女だけが犠牲になる世は間違っている。女にも決定権が与えられるべきではないのか。…そう思うのは、女鬼であったが為に犠牲になり続けた、母を見ていたからだろうか。

意外にも、風間は却って面白そうに唇を歪める。


「いい瞳だな」


そして意地悪く問う。


「俺が何の為にお前を呼んだか、わかっているだろう」


深紅の瞳に私が映る。心の内まで見透かされているかのような視線に、無意識に口を固く結ぶ。風間は、まあいい、とぞんざいに言い放った。


「俺の妻となれ」


予想通りの言葉だ。私たちは、互いの腹を探るように見つめ合う。


「共犯者になれ、の間違いではないのですか?」


返事を返そうと開いた口から出たのは、冷ややかな皮肉であった。その冷たさに自分で驚く。風間も、僅かに瞳を揺らした。


「…心配は要りません。私にも、風間家の力は必要ですから。喜んで共犯者になりますわ」


私は、彼の意見への同意を示す。求婚への返事としては酷く事務的に。でも、これで良いのだ。互いに、互いの目的の為の婚姻である。綺麗に取り繕ったって仕方がない。
甘酸っぱい恋に胸を踊らせた時期もあったけれど、幼い頃から自分の身の上は承知している。養父から縁談の話も振られていた。子供を産まないという条件付きなら、政略結婚でも承諾するつもりだった。
相手が人間から鬼に変わっただけ。子供は産まなければならないだろうけれど、鬼に戻ると決めた時に覚悟した。

(それに…彼が相手なら悪くない)

性格はともあれ、風間千景は魅力的だ。整った容姿だけではない。身のこなし方や仕草の細部までもが洗礼されている。堂々としたその姿は、鬼の頭領に相応しい。漲る力を隠しもせず、誇示することもなく匂わせる美貌の頭領。こんな男に望まれて、ときめかない女は少ないだろう。
そう思う一方で、女としての本能に流されそうになる自分を叱責する。風間に利用されてはならない。雪村が風間を利用しなければ。

私は唇に微笑を浮かべる。精一杯の、強がりの笑みを。しかし、風間は眉をしかめた。


「…違う。」


突然の否定。
驚きで、笑みが消えた。


「確かに風間家にとっては、お前を娶ることで生じる利益はあるだろう。だが、俺にはそんなことはどうでもいい」


風間は、笑いひとつ浮かべない。
そして恐ろしく真剣な表情で、恐ろしい言葉を紡ぐ。


「千夜。お前を愛している」







(――裏切られた。)

110108




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