君を想うからこそ



その日部屋に戻った私を待ち構えていたのは、眉を吊り上げたままじっと座る千姫だった。ある程度予想はしていたので、特に驚きはしない。けれどその態度がまた彼女の琴線に触れたのか、一層千姫は唇を堅く結んだ。


「千夜、何を考えてるの」


金切り声でまくし立てるのではなく、彼女は声を押し殺すように低く訊ねた。余程怒っているらしい。後ろに控える君菊さんも、困ったようにしている。


「流石に耳が早いわね」

「鬼の情報網をナメないで。もう九州はその噂で持ちきりよ。諸国に広まるのも時間の問題だわ」


吃と睨むように私を見つめる千姫に、肩をすくめてみせる。千姫は同じ女鬼として、私を他人だと思えないのだろう。申し訳ないくらいに心配してくれていて、だからこそ今回の私の行動にこんなに怒っているのだ。


「風間が何かけしかけたのね。…いくら風間家頭領だからといって許される行為ではないわ。でも私も千夜の為なら協力を惜しまない、風間家を敵とみなしましょう」

「違うの千姫。全部、私が考えて行動したの」


不謹慎だが、嬉しかった。怒りに震える位私のことを気に掛けてくれる彼女の気持ちが。思わず頬が緩みそうになるが、真剣な千姫の表情に唇を結びなおす。


「私は誰にも相談しないで決めたわ。ちゃんと考えて、ね」


彼女の言葉を遮るように答えると、千姫は「事の重大さをわかってないのかしら」と目を細めて冷ややかに呟いた。しかしその程度で怯むわけにはいかない。そんな、生半可な覚悟でここにはいないのだから。

ぐっと腹に力を入れて、千姫を見返す。千姫はまっすぐ私を見ていた。その視線は研ぎ澄まされた刃のよう。少しでも気を抜いたら、負ける。

(これが…覇気)

これが京の旧き鬼の末裔か。私の中の鬼の血が騒ぐ。彼女は危険だと。今の彼女とまともに対峙できるのは、風間千景位ではないだろうか。

(でも、引き下がるわけにはいかない)

鬼たちの中で孤立無援状態の私には、少しでも多くの理解が欲しい。


「千姫には――風間にも、悪い事をしたと思ってる。私を守ってくれようとした人全てを裏切る行動をした。皆の努力を無にしてしまった。でも、こうするしかなかった…」


こんなことを言っても、言い訳にもなりはしない。わかってはいるが、私が言えるのはそれだけだった。


「まだ間に合う。千夜、私の保護下に入りなさい。貴女を失うわけにはいかないのよ」

「ごめん、できない…わかるでしょう」


千姫の瞳に私が映る。
両者共譲らず、沈黙が通りすぎた。


「…千鶴ちゃんのことね。でも、彼女は無事だし、私がちゃんと今後も影から見守る。今危険なのは千夜なのよ」


少しして、根負けしたように口を開いたのは千姫である。私はただただ首を振った。


「千姫…私はね、雪村家の長子でありながら、千鶴の家臣なの」


絞り出すように出した声は、自分が思っていたよりも掠れていた。


「千姫よりも、君菊さんの方がわかるかしら。何を犠牲にしても、たとえ杞憂にすぎなくても、最悪を想定して行動せざるを得ない気持ちは」


千姫は、少し眉を寄せて君菊さんを振り返える。目を伏せた君菊さんは、ややあって溜め息を吐いた。


「恐れながら――私も、千夜様の立場なら同じように行動します。何よりも千姫様の方が大切ですから、命を失うことも厭いません」

「お菊…」


君菊さんの返答に力が抜けたのか、千姫の肩が落ちた。


「私は何もわかってないのね」


ぼんやりと宙を見つめる彼女の声は、悲痛に満ちている。


「私は、結局千鶴ちゃんを止めることができなかった。全てが遅かった。あの結末は千鶴ちゃんが選んだものだし、私に口を挟む隙が無かったのは確かだわ。…でも、千鶴ちゃんがまだ苦しいのは事実。私は千鶴ちゃんの代わりに貴女を救えば償いになると…そう、思っていた」


でも私と千鶴は違う。境遇も、立場も、時代も。


「千鶴の戦いは終わったけれど、私は今からが戦いなの。守ってくれるよりも、後ろで支えて欲しい。――駄目、かしら」

「全く、千夜には適わないわ」


千姫は私から顔を逸らした。呆れながらも、納得はしてくれたようだ。私も詰めていた力を抜くと、けれど、と千姫は釘を刺した。


「でもこれだけは覚えていて。貴女が千鶴を想うように、貴女を想う者もいるのよ」

101128




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