呵責のつぐない



――私はちゃんと、笑えていたのだろうか。

あの時の自分は必死に強がってみせようと肩肘を張っていた、ただそれだけしか思い出せない。しかし互いに挑発するように見つめた千景の瞳に、僅かながら安堵を感じた。風間家の家老たちは、鬼という種族を絵に描いたような者たちだった。鬼を嫌う私には、彼らと対峙することは恐怖でしかない。その中、私を支えたのは千景の視線だった。信頼はしていないが、理解者であることは確かなのだ。

(…もう、信頼などという生ぬるい事を言っていられる場合ではないけれど)

私は、戻ることのできない境地まで足を踏み入れた。巻き込まれたのではない。自分の意志で。

(今までの比ではない。逃れることはできない)

先を思うと闇の深さに立ちすくみそうだ。が、それでも歩く。血反吐を吐いても膝をつかぬと――否、誰かに跪いてでも私は進むと決めたのだ。
ただ、ひとつを守るために。



その後、千景から呼び出されたのは、日が暮れてからのことだった。



「何を考えている、突然、雪村の頭首を名乗るなど」


前置きもなく問い掛けた千景は、冷えた目をしている。私が会議の場に踏み込んだ時、彼は動揺と怒りを湛えた顔で射殺さんばかりに私を凝視した。その時の表情がうそのように冷静な千景に、私は一瞬、面食らった。


「…雪村を継ぐ者として、当然のことをしたまでです」

「俺に相談も無しにか。あいつらは俺と違って、お前個人の事情など考慮してくれんぞ」


吐いて棄てた千景の言葉を、私は受け入れるように瞼を閉じた。
事情とは私の鬼嫌いを指している。千景は私の過去を知り、その運命に情けをかけた。鬼を信じられぬと喚く私に、その目で確かめろと、わざわざ内密のうちにここへ迎えいれてくれたのだ。私の行為は、その好意を打ち砕くに等しい真似だった。


「鬼にはもう、戻らないのではなかったのか。あのまま静かに江戸へ戻る道もあったろう。だが、家老たちにあのような宣言をされては…もう、取り返しがつかぬ」

「……」

「明日には、他の里へも噂が広まるだろう。雪村が復活したと」


鬼の知識に乏しい私にもわかる。噂が広まれば、どのような騒ぎになることか。


「東国一と言われた雪村家、しかも名高い紫の上の娘だ。女鬼の不足した我々にとって、おまえの存在は喉から手が出る程欲しい。後ろ立ても家臣もないおまえは、それにどう太刀打ちする気だ」


千景の言う通りである。無謀だ。純潔の女鬼であったが為に、母が辿った茨の道を思わずにはいられない。彼女は、私に同じ道を歩ませない為に、命を賭した。それなのに同じ枷に嵌りに行く私は阿呆に違いない。


「――貴方の苦心を徒労と化したこと、それには申し訳ないと思っております。それでも、自分の行動に後悔はありません。決めたことなのです」

「突然、あんな真似をして何が決意だ。」


溜め息混じりに呟いた千景は、じろり、と赤い目を向ける。


「雪村千鶴のことか」

「……」

「何か吹き込まれたのか。あの女鬼を助ける為にはそうするしかないと、言われたか」

「――いいえ。これが私の思いつく最善だっただけ」


何と言われようと、考えを変えるつもりはない。


「千鶴は何としても、守らねばならないと決めたのです。私は彼女の身代わり。正統な後継者でもなく一度は鬼をすてた…その私にできるなら、身代わりにでもなります」

「既に鬼は人間界と手を切ることを考えている。おまえのその心配こそ徒労になるのではないか」

「…たとえそうだとしても、万が一のことを考えた時、こうしておけば何も不安はないでしょう?」


あらゆる災難を考えて、全てに対処できる位置に立ちたかった。それが雪村を名乗ること。形だけでも雪村の頭首となれば、鬼たちの注目は私に集中し、千鶴がは気づかれる心配がなくなる。彼女は今江戸にいるらしいが、あの倒幕戦争に参加したのだ、鬼方の誰もが気づかなかったとは言い切れない。それに万が一、千鶴がこちらへ引きずり込まれても、雪村を名乗っておけば私が彼女を守れる確率は格段に上がる。
最善。私が思いつく限りの防御線。これがぎりぎりだった。


「……元より、おまえを娶るつもりだった俺には都合がいい。鬼に戻るというのなら、保護を条件に婚姻を結ぶことは容易いだろう」


口端を歪める。けれど言葉とは裏腹に、その目は不機嫌そうに私を睨みつけていた。彼は、私にどんな返答を望んでいるのだろう。それを伺い知ることはできない。
けれど、私の返答は予想だったにちがいない。


「――受け入れる覚悟はあります」


真っ直ぐ背筋を伸ばし、千景を見つめ返した。


「風間様が望むのであれば、私はあなたの妻になっても、いいわ」


愛情など微塵もなかった。
ただ、ただ、彼を利用するために、風間千景を慕おうと思った。


090628




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