余し駒




水を打ったように、その場に静寂が満ちた。ある者は目を剥き、ある者は硬直し、そして頭領の千景でさえ驚きに口を半開きにした。
それぞれの心中はさておき、視線は全て、一点へ向けられている。雪村千夜、そう名乗った女鬼へと。


「雪村……あの、東の鬼の一族なのか…?」


誰かがぽつりと口にすると、途端、緊張の糸が切れたかのように、彼らは口々に騒ぎだす。


「そんなわけあるまい、雪村家はとうに滅んだ筈…!」

「そうだ、里が人間に襲われたと聞いた」

「我らが駆けつけたときには、一人として生きていなかった!」


交流は少なかったとはいえ、有力な鬼の一族がひとつ滅んだ衝撃はまだ生々しい。特に千景や天霧などの若い衆の補佐にある、昔気質の家老たちにとっては、その記憶はそう遠くないものである。


「鎮まれ」


そんな筈はない、その話は聞いたことがないとざわめく鬼たちは、千景の一言で渋々口を閉じた。若くして頭首の座についた千景には力はあるが、だからといって信用があるわけではない。千景の強引な性格を考えれば、風当たりが強いことも頷けるだろう。


「この女は、まごうことなき雪村の生存者。お前たち、血の濃さを感じないわけがないだろう」


そんな反感の視線を受け流して、千景は続ける。


「訳あって、江戸に亡命していたらしい。先日江戸にて出会い、こうして客人として招いたまでだ。頭首として、な」


真っ直ぐと姿勢を正して居る女鬼は、千景と同じか少し若いくらいである。あの時幼子であった為に、追跡を逃れて落ち伸びた。それは十分にあり得る可能性である。しかし雪村とは寝耳に水もいいところだ。


「まだ信じぬか。彼女は、あの紫の上の忘れ型身だ」


その言葉に、何人かがギョッと目を見開いた。東国の紫の上の名は余りにも有名だ。騒ぐ家老たちを前にただ冷静な女鬼に改めて目を向ける。

紫苑の瞳に、惑わされた。

彼女を見つめる者たちはじっとりと、汗が滲み出るのを感じた。綺麗なだけではない。切れるような冷たさと燃えるような意志と、矛盾する二つを合わせもち、妙な妖艶さを醸し出している。

――強い。

ただ、感じた。鬼として、相手の方が格上だと思い知らされた。


「む、紫の上は正統後継者から外されたと聞いた。その娘がいるとは知らなかったが、彼女に継承権があると?」


辛うじて一人の鬼が絞り出した声は情けないことに震えていたが、動けないでいるよりはましであろう。彼は、縋るように千景へ訴える。


「第一、本当に雪村の女鬼なのか。ならばなぜ、今になって…」

「確かに私には、正統後継者の証はありません。私にはほんの僅かですが、人間の血が入っていますから」


答えたのは以外にも、当の女鬼であった。凜と張った声は揺れることもなく、淡々と述べる。


「ですが、私の他の雪村が死に絶えた以上、私の他に雪村頭首を名乗るべき鬼はいないはず。何か不都合がありますか?」


彼女は、静まり返った場を試すような視線で眺める。彼女の隙の無さに、誰も反論できない。


「今まで連絡できなかったこと、申し訳なく思います。けれど関ヶ原の折、我ら雪村と風間家は西軍と東軍に分かれた。その関係が今に至ること、ご存知でしょう。私は、雪村の里が落ちて以来、幕府の元で保護された。この度の開国騒動でまたもや敵同士に位置づけられていたのです。乱が収まり私は漸く風間様に巡り会えた。それだけに御座います」

「…そういうことだ。千夜殿は我らの同胞、故に客人としてお招きした。それだけに過ぎぬ。無用な心配をするな」


至極あっさりと纏めた千景に、一部の鬼は苦々しい顔で俯いた。

彼らが素直に千夜を受け入れることができないのには、訳がある。
風間家は倒幕の叶った折に、人間界との離別を決意していた。だからこそ各地の鬼たちと連絡を取り、今後の方針を打ち出していたのだ。そしてあわよくば風間家が、鬼たちの中での主導権を握ろうと考えていた。しかし雪村は、風間と並ぶ大きな力を持っている一族。突如現れた彼女が、それを邪魔するのではないかと勘ぐるのは当然だろう。
更に「今の頭首はそういった政略に興味を示さない」という認識が家老たちの意識を占めている。その頭首が、前触れもなく女鬼を連れてきた。しかも妻としてではない。"雪村の頭首"として。何か企んでいるのでは、と思わずにはいられない。


「――風間様、私も鬼の血を受け継ぐ者。鬼同士、協力が必要な場面もありましょう」


家老たちの心中を察してか否か、千夜はうっそりと笑う。


「私も雪村として、この先のこと、共に手を取り合いたく思います」


固唾を飲む鬼たちの前で、千夜と千景は、ただ冷めた目で互いを見つめていた。


100610




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