待ちわびた回帰




――物語は新たな局面に向けての急下降をはじめる。



「九寿。面倒事を引き受けてくださって、ありがとうございました。私ひとりではこう手際良くはできなかったわ」

「いえ…私など、何もしていません。それよりも」


本当に大丈夫なのか、と天霧は瞳を揺らす。天霧は無用な心配はしない男だ。しっかりと物事を見極め、常に確実な道を行く。その彼が言葉を濁すとうことは、何よりも多弁に私の計画の危うさを物語っている。そうと分かっていても、引き返そうとは思わなかった。――否、分かっていないのかもしれない。微温湯に浸かっていた数年間で、私の危機感は見事に削がれてしまったらしい。


「心配、掛けてごめんなさい。でも大丈夫よ」


引き攣る頬に無理を言って、軽く笑んだ。それで天霧は、漸くあきらめたような溜息を吐く。納得はしていない、けれど止めることはできないと理解してくれたらしい。


「…どうぞ無理をなさらぬよう」


天霧の言葉に、無言のまま頷いた。

一連の話を聞いた。この数年の間に起きた、鬼と幕府の命運を握る戦の話を。
そうしてようやく私は、私が風間家へと招待された理由に合点がいった。思えば、私は始めから風間家の嫁として求められていたのだ。決して、"千夜"という個人を求められたのではない。強い血筋の女鬼としての価値が認められた。そこには何の矛盾もない。清々しいほどに、鬼としての筋の通った話だった。

(風間家は、雪村の血が欲しい)

全てはその言葉一つに集約される。
千鶴が生きていた、という事実は私に衝撃をもたらした。同時に、鬼としての自分が再び息を吹き返えす決定打となった。千姫の話では、千鶴は今、江戸で医者をしているらしい。同じ江戸に居た。そう考えると皮肉である。忌み嫌われ離れで暮らしていた自分が、立派な屋敷で穏やかに過ごしていた頃、本家の姫は医術を学び、果てには戦場を駆けまわった。だが、今になって考えるとそれで良かったのかもしれない。結果、千鶴は純血種の姫という立場から逃れることができたのだ。道具としてしか見られない、女鬼という呪縛から。

――彼女は辛いことを経験したわ。けれど、ようやく幸せを掴もうとしているの。

千姫の言葉で目覚めた私のなかの鬼は、ただ一つの使命感に追われた。"千鶴を、守らなければならない。千鶴を、ここへ引き戻してはならない"、と。

(私が拒めばきっと)

代わりに千鶴へと災が行く。いや、ちがう。私より濃い本家の純潔。今の私が彼女の身代わりなのだ。

(そして、私が彼女を守るためにできることは、ただ一つしかない)

それが火の中だとしても、あなたの為なら参りましょう。



*



頭首の千景と風間家の家老たちは、連日、今後の方針の決定に頭を悩ませている。幾度となく話し合いの場を設けるも、なかなか進展はない。
人間界から手は切る。問題は、どう血筋をつないでいくか、だ。


「客人をお連れしました」


唐突な天霧の声に、風間家家老たちは一斉に目を向けた。天霧は風間家に仕える鬼。通常話し合いには参加しない。そして、彼が無用に会合を邪魔するとは思えなかった。頭首である千景も訝しげに眉を寄せる。


「どうした」

「姫様のたってのご希望により、重鎮の皆様にご挨拶したいとのこと」


俄かに、家老たちはざわめいた。


「姫?京の旧き血筋の姫には、先日対面したばかりだが」
「もしや、風間家との婚儀を決意したか」
「かの血を取り入れられるなら風間も安泰だ」
「他に姫などおらぬ。そうにちがいない」


今後の対応に追われているのは、風間家だけではない。国が開け新政府が立つと、各地の鬼から使者がやってきた。元来鬼は互いに連絡を取ったりはしないのだが、それ程血筋断絶の危機に襲われているといえる。
千姫や不知火も風間家の動向を探るべく来ていた。


「千姫様ではございません。ですが彼女にも、我らにも引けを取らない気高き血筋の方」


家老たちの勝手な推測を打ち消すように、天霧は言葉を続ける。


「千景様が個人的な知り合いとして、招かれた姫です。が、彼女は一族を背負う立場。強い力の鬼同士、今後のためにも一族の頭領としてお会いになると」


そこまで天霧の言葉を聞いて、千景は目を剥いた。


「天霧、貴様…!」


天霧の言わんとしていることがわかった。そして、しようとしていることが。千景には敢えて、伏せられていた計画。止めようとした時には遅かった。

静かな音と共に、障子が開く。


「風間一族の皆様、お初にお目にかかります」


その瞬間、ざわめいていた家老たちは口を噤んだ。見たことのない女鬼だった。白地に刺繍を施した着物は見事で、彼女の美しさを際立てていた。しかし彼らは、


「私の名は雪村千夜。東国の鬼、雪村家の後継者として参りました」


彼女の瞳の、美しい紫苑に惹きつけられていた。


100520




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