無縁だとばかり




ほぅ、と吐いた息が白い煙となって立ち上る。夏が過ぎ、秋を越して、何時の間にか季節は師走に差し迫ろうとしていた。

(懐かしい、声を聞いた気がする)

眠気覚ましにと井戸へ水を汲みに出た少女は、つい先程の夢を反駁する。
今朝火鉢を出したからだろうか。気づくと室内でうとうとしてしまっていた。ほんの数分のことだったけれど、穏やかでゆるやかな時間だった。思い出そうとしても、靄のようなものが掛かっていて、よくは思い出せなかった。けれど誰かが確かに、自分の名前を呼んだのだ。

(誰だろう)

慈しみを込めた優しい声で自分を呼ぶ人。それは確かに親しい人であったと思う。咄嗟に思い出されるのは既に亡き父と――共に一時の時代を駆け抜けた、男たち。彼らは皆、戦に散っていった。少女が慕った彼の死は、夏、遠い地まで弔いにもいった。
彼らのことを思い出すと、今もまだ胸が刺すような痛みを覚える。
けれど少女は彼らの死から目を背けなかった。真っ直ぐに受け止めた。かれらの生の意味を、自分が覚えていることで確かなものにしたかったから。

しかし今、思い出しかけていた声の持ち主は、彼らではない。もっと高く、女性的な。

(お千ちゃん…いや、お菊さんかしら)

知り合いの顔を片っ端から思い浮かべるも、どれも今一しっくりこなかった。


「先生、先生いらっしゃいますか」


突然響いた声に我に返ると、勝手口の方から見知った顔が覗いた。辻向かいに住む、奥さんである。


「どうしたんですか」

「うちの坊が熱出しちゃって…先生、見てくれないかしら」

「もちろんです。今、道具持ってきますね」

「助かるわ、あの子先生じゃないと嫌だっていうのよ。ありがとう、先生」


戦を終えて江戸に戻った少女は、既に自分の道を歩きはじめていた。それは、父親の跡を継ぎ、医者となることだった。失ったものは大きい、けれど落ち込んでばかりもいられない。自分が笑っていることが、彼らへの弔いになるから。それに、ありがとう、と言われる度に自分の生の意味を実感できるような気がしていたから。

――ありがとう、千鶴

その時、記憶の片隅にこびり付いたその声が、また聞こえたような気がした。声の主を探すように少女は空を仰ぐが、そこには青い空が広がっているだけで雲ひとつない。


「姉さん――?」


無意識に呼んだその言葉の意味は、少女にもわからない。






後に幕末と呼ばれる、動乱の時代。
京で壬生狼と恐れられた集団のことは遠い江戸でも知られていた。屋敷の中で大切にされていた私だが、養父の関係からその手の噂は度々耳にしていたのだった。壬生狼――新撰組。会津藩お抱えの、京の治安を維持するための組織。そう言われれば聞こえがいいものの、その若者達は実際、殺人を主な仕事としていた。といっても、私は彼らを人殺しと蔑むつもりはない。あれは、時代が悪かった。時代が彼らを、そうさせたのだ。
幕末において、どの勢力に属するかは賭けのようなものだったのではないかと思う。幕府か攘夷か開国派か。新選組は貧乏籤を引かされたのだろう。池田屋事件の成功で、戦功甚だしい彼らだが実際の最後は悲惨なものだった。養父、勝海舟の無血開城。その前後に彼らは江戸にいた。養父自ら新撰組を追いやり、江戸を守った。その記憶はまだ新しい。その後、東北へ落ちていったという。終焉は、蝦夷の五稜郭だったと。


「そこに千鶴が…いたのですか」


幼い頃に生き別れた、従姉妹。雪村千鶴は、その動乱の時代に、その動乱の渦中へいた。


「…鬼の真似をし、人間は変若水によって羅刹へと落ちた」


幕府で秘密裏に行われていた実験。変若水という薬は、人外の力と引き換えに人間を夜の生き物、血を求める化け物へと豹変させたという。それが私が江戸で襲われた、"羅刹"たちの正体。その薬に携わっていた一人の鬼。彼こそが千鶴を燃えさかる母屋から連れ出し、育てた男だ。


「…雪村綱道という男鬼は知りません。私は離れで過ごしましたから、本家に繋がりのある鬼たちとは全くといっていい程関わりがなかったのです」


結局は千鶴を、動乱へ引き込む原因となった綱道。けれど千鶴を救い、育てたそのことには感謝しなければならないのだろう。たとえ辛い道であろうとも、生きていることに勝るものはない。


「雪村千鶴は我らを、鬼を拒み、新撰組との道を選んだ」


千姫と風間たちは、京で千鶴に出会った。ただ風間は薩摩に協力をしていた為、千鶴が身を寄せていた新撰組とは折り合いが悪く、彼女を引き入れるには至らなかった。


「最後は俺が、蝦夷まで同行した。よく晴れた夏の日だ。あの男は蝦夷の地で死んだ」


最後まで話終えた風間は、ゆっくりと息を吐いた。
既に、終わった物語。駆け抜けた動乱の時代。戦い抜いた男たちとひとりの少女。
どれも現実味がなく、私は感想をまとめることができなかった。これこそが私が知りたかったことなのに、ただただ呆然としてしまって、思考がまとまらない。


「ねえ千夜。千鶴ちゃんに会いたいと思わない?」


私が声も無く顔を上げると、千姫は優しく私の手を握った。


「彼女、江戸にいるわ」



(私に何ができるのだろうか)
100401




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