世界からの離脱




運命というのは本当に、まるで予測がつかぬ方向へとこの現(うつつ)の住人を誘うらしい。人生に、転機というものが何度か襲いくるということを初めて私が知ったのは六つのときだ。燃える屋敷、断末魔の声、そして醜い人の心を母に抱かれながら垣間見たのを今でも鮮明に覚えている。もうこの世界へは還らぬ、静かに生きて死に子孫など決して残してはならぬと母に言い聞かせられながら、意味のわからない恐怖に怯え歩いたあの暗い山道が今の自分の境遇を責めるように脳裏に蘇った。
それでも、もう決して後戻りはできない。自分としても一度決めたことを取り消すようなことは、したくないのだ。無理やり過去を頭の隅へと追いやって、気合いを入れるようにぎゅ、と手を握った。


「不満、か」


背後から声を掛けられて、私は素早く振り返った。いつ部屋に入ってきたのだろうか、全く気配を感じないのがまた憎らしい。憎らしいが、この男こそが私が自分の未来を託さねばならない男なのも確かで。私は一瞥しただけですぐに視線を外す。


「いいえ。不満なんてないです。私はもう決めたのだから」

「それを不満というのだ。全く、このようなめでたい日に当の花嫁がそんな顔していては、流石の俺も心を痛めるというものだ」

「――戯れ言を。あなたに人並みの心があるなど誰が信じましょう。否、鬼だから人ではないですね。私も、あなたのこと言えないですが」

「今日は随分と冷たいのだな。そんなに俺と、好いてもいない男と添い遂げるのが嫌か?」


無表情のまま男は顔を傾けた。生まれのせいもあり日頃から上等な服を着ている彼だが、今日は一層華やかに見えるのは、晴れ着を着ているからだ。今日の主役の花婿は、この金髪の美麗な鬼だった。


「あなたは勘違いしています」


男の赤い瞳が私を探るように揺れた。ただでさえ一目を引く容姿なのに、その男が自分だけに意識を集中しているとなるとそれが憎い男でも気恥ずかしい。私は顔色を変えないように気をつけながら、言葉を探す。


「私はあなたは嫌いではないわ。あなたは魅力的なひとだし、今後生活に不自由もないでしょう。私も生まれが生まれ、平穏な暮らしができないのなら、私を理解してくれるあなたと暮らすのが一番だと思っているの」

「では、その仏頂面はなんだ」

「ここが鬼の里で、私が鬼のなかで暮らさなければならないということよ」


鬼ははっとして、息を呑む。


「知ってるでしょう。私は鬼が嫌いなの。いいえ、もっといえば、純血をたたておきながら己の血筋を生かすために他の命などどうでもいい――そういった政治的策略に関わるのが苦痛なのよ」


そうして、私は自分の居場所を失った。父や母が命を賭さねばならなくなったのだ。もう戻らないと決めたのに、なぜ運命はここに私を連れてきたのだろう。自分は自分で守れる。しかし風間家に嫁にいくということは、子を産むということ。もし女子が産まれたら…?そうしたら、またその子は陰謀に身を落とさなければならなくなるのだ。


「風間、」


男の名を呼ぶと、その金髪で美麗な鬼は私を後ろからゆっくりと包んだ。


「千景、だろう?もうお前も風間になるのだぞ」


いつもに似合わぬ優しい声色に、少し緊張が解けた気もしなくもない。私は彼に身を任せたまま目を瞑る。


「守っていただけますか。私も、私たちの子も、醜い鬼から守っていただけますか。千景」

「ああ、約束だ。決して違えぬ」


千景はあやすように私を抱き締める。それがなんだか心地よくて、私は溜め息を漏らした。


「千夜、俺は愛した女鬼を見捨てたりはせぬ」




090307



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