あまつさえ失う声




上品な薄紫の地に、白と金の糸の花びらが舞う。その着物は細部までが丁寧に造られていて、高級かつ特注で造られたものだろうと容易に予想はつく。そしてそれを纏った私は、彼の前に晒されていた。ゆっくりと、這うような視線がじれったく、羞恥心を煽った。


「思った通り、良く似合う」


唇に笑みを刻んだ風間は、目を細める。あまりに恥ずかしくてそっと目を背たら、伸ばされた腕に引き寄せられ、顎を摘まれてしまう。


「朱に染めた頬を、隠す必要などどこにある」


強引に視線が絡められて、私の視界には一面に風間の顔。その赤い瞳に見つめられると、どうも落ちつかない。私はまだこの男に気を許してはならないのに、その意地が挫けてしまいそうな気がするのだ。身をよじって逃れようとするも、力では適う筈もない。

(このまま堕ちてしまおうか)

甘美な魅惑に押し負かされそうになった、その時。


「――口説くのは、もうちょっと日が暮れてからお願い。無理やり手込めにするよりは良いけれど、それもどうかと思うわ」


呆れたような千姫の声にはっとして目を向けると、天霧と不知火、そして千姫が居心地悪そうに座っていた。


「邪魔者がいるのを忘れていた」


詰まらなそうに呟いて風間は私を解放し、私は急いで乱れかけた着物を整えた。
そうである。今はまだ真っ昼間の、しかも公衆の面前だ。今朝千姫に出会った私は、そのまま天霧と千姫と一緒に風間の部屋へと来た。そうしたら何故か、この着物に着替えるよう言われたのだった。
それは兎も角、今までのやりとりを全て見られていたのだと思うと顔から火が出そうな位恥ずかしい。こっそり頬を抑えた私に千姫は目を向け、静かな笑みを浮かべる。


「でも千夜が可愛いことは確かね。千夜、こんな男よりも私の所へ来ない?」


反応する間もなく、千姫に手を取られた。いつの間にか目の前に詰めた彼女は、艶やかな笑みを浮かべている。
母のように優しく笑んだと思ったら、次の瞬間には太夫も真っ青になるような色気を放つ。そんな魅力的な彼女の瞳に捕らわれ、目が離せない。同姓の私ですら見とれてしまうのだ。世の男共は彼女を放ってはおかないだろう。
迫る彼女に何と返事をしたものか、私は迷いながら口を開く。しかし何も言う前に、私の視界から千姫が消えた。風間に抱き寄せられたからだった。


「ふん、俺がこいつを手放すと思うか」

「あら、あなたに千夜が幸せにできるというの?」


お互いに挑発するような口調で、風間と千姫は睨み合う。頭上で飛び交う火花に、なすすべもなく呆然…というよりも、何故私を取り合う必要があるのかが理解できない。既に家も無く、ただ荷物になるばかりの私が重宝されるのはやはり女鬼だからだろうか。


「あの――私、別に誰のものでもないですけど?」


何にしろ、彼らを止めなければなるまい。控えめに口を出した私に二人は目を向け、そして響いたのは不知火の声であった。


「くっはははは!千夜の言う通りだぜ!」


見れば、不知火は膝を叩いて笑っていた。隣の天霧でさえも、微妙に頬が緩んでいた。千姫がつられて吹き出すと、風間は小さく溜め息を吐いた。


「お前の、そういう馬鹿な所も嫌いじゃない」


馬鹿とは失礼である。しかし私だけが状況を理解しきれず、疑問顔で首を傾げていたのは事実。けれど、皆の笑い声になんだか気分が和やかになり、自然と口元に笑みが浮かぶ。


「やっと笑ってくれた!やっぱり、笑顔の方がいいわ」


千姫の歓声に、私は今まで笑ってはいなかったのかと気づいた。
――江戸を出てからというもの常に気を張っていて、こんな風に落ち着けることはなかった。里に近付くにつれて緊張が増し、さぞ表情も硬かったのだろう。鬼が恐ろしかった。信用など出来ないと思った。それでも、こんな風に笑える場所があると、鬼も人間と変わらぬと思えるのは私にとって救いだ。
少なくとも、ここにいる鬼たちは信用できるのだろう。
嫌ではない。彼らと居るのは。むしろ、居場所を見つけたかのような気さえする。


勇気を出して江戸から出てきて良かった。素直に思えるのが嬉しい。私は改めて、ゆっくりと笑みを刻んだ。





――しかし次の瞬間、私は千姫の言葉に凍り付く。





「そうしていると、千鶴ちゃんにそっくりね」


予想だにしなかった名前に、反応が遅れる。風間、天霧、不知火が目を見開いた。


「千鶴………?」


確かめるように繰り返す。千姫ははっとしたように口元を押さえた。


「…千姫」

「ご、ごめんなさい!」


風間の咎める声に、千姫は顔を青くした。彼女は可哀想なくらいに動揺している。眉尻を下げ、私を見つけた。けれど私には千姫をいたわる余裕はなかった。ただ、衝撃に酔ったまま風間に問う。


「風間様、どういうことでしょうか」


押し黙る風間。沈黙は、肯定に他ならない。


「千鶴が、雪村千鶴が生きているのですか!?」





蘇る記憶は、朧だ。
紅い頬の赤子、差し出した指を握る、小さな手。

雪村千鶴。

母の弟が継いだという、雪村本家の娘。
それは死んだと思っていた、私の従姉妹の名であった。



091031



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