よしなに




ゆるゆると、意識が覚醒していくのを感じた。重い瞼を持ち上げて、私はゆっくりと起き上がる。見渡した室内は、見慣れぬ場所だった。
それもその筈。ここは風間の里、昨日着いたばかりの鬼の里だ。まだ夢見心地でぼんやりとした頭のまま、昨日風間との再会を果たしたのだと思い返す。
それにしても、昨晩は吃驚する程落ち着いて眠りに付けた。旅の間は野宿ばかりで、まともな布団で眠ることが久々だったのもあるけれど――何より、この里の空気がとても居心地が良かったのだ。

(いえ、風間のお陰かしら)

私に用意された部屋は、風間の部屋により近く、他の鬼の容易に踏み入れることのできない場所だ。さらに鬼に慣れない私に配慮してか、使用人も殆ど近づけない、まだ私の存在は公にしないとも言ってくれた。

(――優しい人よね)

完全に風間に甘え切ってしまっているけれど、まだ今一彼のことが分からない。どんな人なのか、何を思っているのか。初めて見た時の毒々しいまでの覇気と、私に手を差し伸べてくれる優しさ。それは結びつかないもので、どちらが本当の風間なのか、計りかねていた。

実際、風間と会ったのは昨日が二回目。殆ど初対面で他人が理解できるわけ無いのだけれど。




もう日はとうに上っているだろう。それでも誰も部屋には訪ねて来なかった。旅で疲れている私を気遣って、遅くまで寝かしてくれる気かもしれない。でも、一度目が覚めてしまうと目が冴えてしまってこれ以上布団にはいられそうになかった。
とりあえず身支度は終えたものの、やることが無くてすっかり手持ち無沙汰である。

(それにしても静かだわ。物音ひとつしない)

江戸にいた頃の喧騒が嘘のようだ。それはここが、人間界とは完全に絶った、鬼の里だからだろうか。だが、鬼といえど人間と変わらない生活。目覚め、食し、そういった生活の物音位してもいい筈だ。本当に、どうしてこんなに静かなのだろう。

(部屋から出るのは良くないと思うけれど、少し位なら大丈夫かしら)

あまりの静けさに不安になって、少しだけ部屋の外を覗くことにした。私は内密に滞在を許された身なので、見つかったら立場が悪くなることは間違いないけれど。
そろり、と少しだけ襖を開ける。人の気配が無い事を確認して、そっと顔を出す。
――開いた襖の奥、部屋の前にはそれは美しい庭園が広がっていた。昨日は夕闇に紛れて気づかなかったけれど、良く整えられた上質な庭園は決して主張しすぎず、見事な枯山水を描き出している。勝家のお屋敷にも素敵な庭園が作られていたけれど、それとはまた違った風情に目を引きつけられた。

そして私は、それに感嘆するあまり、近づく気配に気づくことができなかった。


「…あなた、」


背後から聞こえた声にはっとして振り返ると、見知らぬ女の子が少し離れた所からこちらを見ていた。大きく見開かれた目は、明らかに私の存在に驚きを示している。


「…………」


早く部屋に戻らなければ。でも今更隠れた所で、意味は無いかもしれない。私は沈黙したまま、動けずに彼女を見つめ返した。上品な着物、脇髪の左右を金色の紐で括った彼女は一目で高貴な身分をもつ鬼だとわかる。風間の親族だろうか。江戸を出てから女鬼と出会ったのは初めてだ。
黙り込む私に彼女もそれ以上何も言わず、私たちの間に緊迫した空気が流れた。
――その時、沈黙を破ったのは天霧であった。


「姫様、客室はそちらではなく…」


女の子の後を追うようにして現れた天霧は言いかけ、そして私に気づき首を傾げる。


「…千夜様?」


天霧の、何故ここにいるのだとばかりの視線に、安堵と同時に情けなさがこみ上げた。やはり部屋で大人しくしているべきだったかと、私は小さくなりながら言い訳をする。


「ごめんなさい、外が気になってしまって…。勝手に出るなと言われていたのに」


叱られてもおかしくない状況だ。私の行動が、私にとって悪影響を及ぼすなら自業自得で済むが、今私が何かやらかしたらそれは風間千景の立場をも悪くするのだ。折角、婚姻の件は後回しにしてもらっているのに意味がなくなる。
しかし、予想に反して天霧は声を荒げることも、私を咎めることもなかった。

「気に病むことはありません。お目覚めになっていたのならもう少し早く声を掛けるべきでした。まだ休んでいても良かったのですが」

「…怒らないのですか?」


恐る恐る尋ねた私の言葉に、天霧はふむ、と顎に手を掛ける。


「確かに、誰か家老辺りに見つかっていたら厄介だったかもしれませんね」


予想通りの事実に思わず肩を竦めたが、天霧はそれでも叱らずに、何故か微笑んだ。


「ですがこの方なら大丈夫ですよ。後で千夜様にご紹介しようと思っていたのですから」


言われて、私はそっと天霧の横に立つ女の子へと視線を移した。彼女は、興味津々といった様子で私を見ている。その立ち姿はお淑やかと言うよりもどこか凜としていた。


「天霧、もしかしてその子が?」

「ええ。先程お話していた客人です」


彼女と天霧は短い言葉を交わし、こちらへ向かって歩み寄る。どうしたら良いのかわからずに、呆然と立っていた私の前まで来たその子は、何の前触れもなく、突然私の手を取った。


「え、あの…?」

「驚かせてごめんなさい、私千姫っていうの」


彼女――千姫は、にっこりと笑う。それはあまりに綺麗な笑顔で、思わず見とれそうになった。


「私、は雪村千夜と申します。あの、千姫様は一体…?」

「やだ、そんな畏まらないで。同じ位の年でしょう?」

「はぁ…」


屈託のない笑みを浮かべた千姫は、気さくな性格らしい。お千って呼んでくれてもいいわ、とにこにこしながらとんでもない事を尋ねた。


「ねえ、あの風間がどんな風にあなたを口説き落としたのか教えてくれない?」


当然、この後私は口説き落とされた訳ではないと、慌てて訂正することとなる。



091004



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