3 月光を浴びて露わになった鬼の顔に、母ははっとしたように目を見開いた。そして、耐えるように奥歯を噛み締め、呟く。 「あなたは…南雲家の」 「そう、俺はお前が縁談を反故にした鬼だよ。お前が俺に嫁げばこんなことにならなかったかもしれないなァ?」 母の手を突いた刀を納め、母の傷が塞がるのを見て、愉しそうに唇を舐めた。 「どうして…どうして、同じ鬼であるあなたたちが雪村を襲うのですか!?」 彼がここにいるということ、それはこの襲撃が、ただのはぐれ鬼によるものではないことを意味していた。怒りと恐怖に震えながら母が問い詰める。西国の鬼たちが雪村の抹殺を目的にこの襲撃を起こしたのなら…雪村家に望みはない。 「同じ鬼、か。俺も雪村とは同志であるつもりだったのだがな。お前が縁談を断り、雪村の頭首――お前の弟は我が一族の申し出を断った。裏切りは雪村が先。当然の結果であろう」 「しかし、あなたたち西国の者たちの申し出は、理不尽なものだった筈!同意するわけにいかないと、わからないのですか!」 「…お前が、それを言える立場か?」 冷ややかな声で、鬼は嘲笑う。 「鬼の血筋を絶やさない、これは俺たちの大原則じゃなかったのか。お前は純潔家の女鬼として生を受けた。当然、別の純潔家の鬼の子を生むのが、お前の義務だった。それを、放棄した。使えない道具は排除すべきだろう?」 「私は…私は道具なんかじゃ、ない」 「女鬼は道具だ!女鬼に自由があると?その甘い考えは、あの汚らしい男に吹き込まれたのか?」 「何を…」 「お前の光源氏とやら、あの男は俺が一太刀で殺してやったさァ!」 ――殺された。 その一言に、母の殺気が膨れ上がる。私は、男の言う人が父だと、理解した。 「貴様ァァア!」 目を剥いて今にも飛びかからんばかりの母に、鬼は刀を引き抜く。何故か先程とは違う、脇差しの方だった。 「ここまでする必要、ないのだがな。ただ俺は、雪村が気に食わぬ。お前が気に食わぬ。女鬼を殺すのは勿体無いが、致し方ない」 くつくつと嗤い、鬼はじろりと私に視線を這わせた。 「――そうだ、お前の果たす役目はその娘にさせよう。だからお前は、死ね」 * 山道を、走っていた。 足元も見えない闇の中で、足だけは止めてはならぬと言い聞かされながら。母の手だけを頼りに歩いていた。 逃げてきたのだ。 私を守りながら戦うことは、酷く難しかった。宣告された父の死に我を失いかけた母は、しかし寸でのところで理性を取り戻した。 女鬼といえど、雪村の直系だ。母が全力で戦えば、もしかしたらあの男を殺せたかもしれない。しかし私たちが逃げる道を選択したのは、様子がおかしいことに気づいたからだ。何度か斬りつけられた母の傷は、明らかに癒えるのが遅かった。 「母さま、血が、」 足を引きずって歩く母の、支えになろうとする。しかし母は私を急かすばかりで、自分の傷には目もくれなかった。 「大丈夫です。きっとあの脇差し、何か小細工が施されていたのでしょう。でも今は、早く行かねば」 渾身の一撃を見舞い、相手が怯んだ好きに逃げた。思いつくかぎりの目くらましはしたけれど、逃げ切れるかわからない。 「勝殿ならばきっと力になってくれる。あの人ならば…だから早く、」 勝殿という、母の旧友の元へ向かっているらしい。とにかくそこへ辿り着けば、きっと母も傷を癒やすことができる。 そう自分に言い聞かせて、私は黙々と歩き続けた。 「ああ千夜、ごめんなさい千夜」 ――道中、母はただ、私に謝り続けた。父に謝り続けた。雪村の家へ、謝り続けた。 「私が、私が家を破滅に追い込んだのだわ。女鬼として生まれ、千夜を望んだから。ごめんね、あなたに幸せな人生を、せめてこれからは鬼としての己を捨てられるように、」 一刻も早く、江戸へ。 (それが全てのはじまり。) 090807 |