月光を浴びて露わになった鬼の顔に、母ははっとしたように目を見開いた。そして、耐えるように奥歯を噛み締め、呟く。


「あなたは…南雲家の」

「そう、俺はお前が縁談を反故にした鬼だよ。お前が俺に嫁げばこんなことにならなかったかもしれないなァ?」


母の手を突いた刀を納め、母の傷が塞がるのを見て、愉しそうに唇を舐めた。


「どうして…どうして、同じ鬼であるあなたたちが雪村を襲うのですか!?」


彼がここにいるということ、それはこの襲撃が、ただのはぐれ鬼によるものではないことを意味していた。怒りと恐怖に震えながら母が問い詰める。西国の鬼たちが雪村の抹殺を目的にこの襲撃を起こしたのなら…雪村家に望みはない。

「同じ鬼、か。俺も雪村とは同志であるつもりだったのだがな。お前が縁談を断り、雪村の頭首――お前の弟は我が一族の申し出を断った。裏切りは雪村が先。当然の結果であろう」

「しかし、あなたたち西国の者たちの申し出は、理不尽なものだった筈!同意するわけにいかないと、わからないのですか!」
「…お前が、それを言える立場か?」


冷ややかな声で、鬼は嘲笑う。


「鬼の血筋を絶やさない、これは俺たちの大原則じゃなかったのか。お前は純潔家の女鬼として生を受けた。当然、別の純潔家の鬼の子を生むのが、お前の義務だった。それを、放棄した。使えない道具は排除すべきだろう?」

「私は…私は道具なんかじゃ、ない」

「女鬼は道具だ!女鬼に自由があると?その甘い考えは、あの汚らしい男に吹き込まれたのか?」

「何を…」

「お前の光源氏とやら、あの男は俺が一太刀で殺してやったさァ!」


――殺された。
その一言に、母の殺気が膨れ上がる。私は、男の言う人が父だと、理解した。


「貴様ァァア!」


目を剥いて今にも飛びかからんばかりの母に、鬼は刀を引き抜く。何故か先程とは違う、脇差しの方だった。


「ここまでする必要、ないのだがな。ただ俺は、雪村が気に食わぬ。お前が気に食わぬ。女鬼を殺すのは勿体無いが、致し方ない」


くつくつと嗤い、鬼はじろりと私に視線を這わせた。


「――そうだ、お前の果たす役目はその娘にさせよう。だからお前は、死ね」



*


山道を、走っていた。
足元も見えない闇の中で、足だけは止めてはならぬと言い聞かされながら。母の手だけを頼りに歩いていた。

逃げてきたのだ。
私を守りながら戦うことは、酷く難しかった。宣告された父の死に我を失いかけた母は、しかし寸でのところで理性を取り戻した。

女鬼といえど、雪村の直系だ。母が全力で戦えば、もしかしたらあの男を殺せたかもしれない。しかし私たちが逃げる道を選択したのは、様子がおかしいことに気づいたからだ。何度か斬りつけられた母の傷は、明らかに癒えるのが遅かった。


「母さま、血が、」


足を引きずって歩く母の、支えになろうとする。しかし母は私を急かすばかりで、自分の傷には目もくれなかった。


「大丈夫です。きっとあの脇差し、何か小細工が施されていたのでしょう。でも今は、早く行かねば」


渾身の一撃を見舞い、相手が怯んだ好きに逃げた。思いつくかぎりの目くらましはしたけれど、逃げ切れるかわからない。


「勝殿ならばきっと力になってくれる。あの人ならば…だから早く、」


勝殿という、母の旧友の元へ向かっているらしい。とにかくそこへ辿り着けば、きっと母も傷を癒やすことができる。
そう自分に言い聞かせて、私は黙々と歩き続けた。


「ああ千夜、ごめんなさい千夜」


――道中、母はただ、私に謝り続けた。父に謝り続けた。雪村の家へ、謝り続けた。


「私が、私が家を破滅に追い込んだのだわ。女鬼として生まれ、千夜を望んだから。ごめんね、あなたに幸せな人生を、せめてこれからは鬼としての己を捨てられるように、」




一刻も早く、江戸へ。




(それが全てのはじまり。)
090807



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