伯爵と情報屋


黒龍の神子を屋敷に迎えて、もうひと月ばかりになる。
帝国軍がこの未曾有の危機に際して、龍神の神子の存在に目を付けるだろうことには予想がついていた。だから予めダリウスたちはその召還時に神子を強奪する計画を立て、そして成功させたのである。
やってきた神子――梓はダリウスの言葉を信じた。彼女は元の世界に帰るためにと、ダリウスたちに協力をしてくれている。決して、彼女を騙してはいない。全てを語ってはいないだけで。
ここまでは、何事もうまくいっている。できすぎると思えるくらいに。
でもまだやるべきことは少なくない。むしろ、ここからが本番なのだ。次の布石を打たなければならない。時間はそう多くはないのだ。

ハイカラヤは、情報収集するにも考え事をするにも、適したカフェーである。特に梓を屋敷に迎えてからは、一人で物思いに耽るために来ることも多かった。今日も一人、静かに珈琲を傾けて思考の海に心を沈めていたダリウスの目に、見慣れない女の姿が飛び込んできたのはそのときだった。


「マスター! 村雨さん、部屋にいらっしゃいますか?」


店の客へは目もくれず、まっすぐカウンターに向かった少女に、周囲の目は引き寄せられる。帝都では見慣れないメイド服姿。だが、着用しているのは日本人のようだ。珍しさで目を奪われた人々のうち、しかし数人は、ああ、とすぐに納得したようにまた会話に戻った。

(おや、常連たちには見慣れた姿のようだね)

マスターも、彼女と親しげに話している。ダリウスの知らないうちに、彼女もこの店に出入りするようになっていたようだ。だが、ただの客ではなさそうだ。彼女は、ここの居候を訪ねてきているらしい。


「あら、椿ちゃん。村雨先生は、今出てしまっているわよ」

「えっそうなんですか……困ったな、九段くんからの伝言を預かっているんだけれど」


彼女の言葉に、ダリウスはぴんときた。話には聞いていた。帝国軍の相談役が最近屋敷に住まわせているという、専属家政婦。なるほど、彼女が噂の人物であるらしい。
だけれども、予想以上に普通の少女だ。その服装を除けば、まだ年若い少女という印象しか残らない。年は、梓よりは少し上に思えるが、けれども梓の方がしっかりして見えるくらいに思える。どこか、ふわっとした印象を与え、彼女には現実感がない。
しかし、それでも軍属の萩尾九段と近しい女である。身分を偽っているとはいえ、鬼であるダリウスは極力接触を避けた方が良い相手だろう。
――それはわかっていたのだが、つい、興味が勝った。


「君。村雨ならもうじき戻ってくるよ。俺も彼と約束をしていてね」

「えっと、貴方は?」

「あら、椿ちゃん、伯爵に会うのは初めて?」


椿と呼ばれたメイドは、目を丸くしてダリウスを見つめた。その横で、マスターがダリウスが海外の爵位持ちであることを嬉々として語る。ダリウスも、椿へと笑みを浮かべる。


「俺は、ダリウス。古美術商をしていてね、今日は村雨先生にちょっとした商談をしに来たんだ」

「私は宮本椿といいます。村雨さんにお話があったのですが、でもダリウスさんお仕事なら、出直そうかな」

そう言い、身を引きかけた椿を、ダリウスは引き留める。こんなチャンスは滅多にない。帝国軍に関する何か情報が得られる可能性は低そうだが、けれども、彼女は面白い。そんな確信があった。


「いや、俺の話はすぐ終わるんだ。もし良かったら少し待っていてくれないかな」

「え、でも、私のも急ぐ話でもありませんし、」

「俺のことなら、気にしないで。それに、村雨はまだ帰ってきていない。良かったら村雨が帰るまで、俺の話し相手になってくれないかな?」


畳みかけるように言葉を重ねたダリウスに、押されるようにして椿は頷いた。そういうことなら、と提案に乗ったのだった。
村雨がハイカラヤに帰宅したのは、それから小一時間後のことだった。彼は店へ入るなり、同席しているダリウスと椿に面食らったようにぽかんと口を開ける。


「村雨。伯爵と椿ちゃんが、首を長くしてお待ちよ」


マスターから経緯を聞いてようやく、村雨は納得がいったと息を吐く。だが、意図的だとしても帝国軍相談役付の家政婦と、鬼の首領が打ち解けて話をしているだなんて、どちらにも通じている村雨からしたら心臓に悪い光景だった。


「村雨」


席を立ったダリウスは、村雨に耳打ちする。情報屋はそれに対して、浅く頷いた。それから、と更に続けられた言葉に、呆れたようにため息を吐いた。


「さすが首領殿。鋭いな。あんたの言うとおりだよ」

「そうでもないさ。だけど、助かった。この礼はいずれ。でも……そうか、なるほどね」


考えるように口元に手を当てたダリウス。彼のその沈黙に、村雨は探るように問いかける。


「怖いね。また何かたくらんでいるのかい」

「ふふ、そんなことないよ。おもしろいとは思うけれどね、まだ活用に思い当たる節はないかな」


それだけ呟くと、鬼の首領はハイカラヤを後にしたのだった。


***


「椿さん、待たせてすまなかったな」


ダリウスと村雨が話している間、椿はじっと席に座って待っていた。手には文庫本がある。村雨が声を掛けると、椿はぱっと顔を上げて、本に栞を挟んだ。それから、首を小さく横に振る。


「いえ、私の方こそごめんなさい。伯爵さんとのお約束、邪魔してしまったようですから」

「気にするな。用件はもう済んだ」


彼女の手にある本には見覚えがある。きっと、九段に借りたのだろう。装丁ですぐに自分の著作本だとわかったが、あえて指摘はしない。知り合いが自分の本を持っているというのは、なんだか照れくさく思える。


「それで。椿さん、何の用かな」


早速、本題に入る。椿は少し迷うよう視線をさまよわせ、それから口を開いた。


「ええと……まず、これが九段くんからの伝言です」

「ああ、預かるよ」


椿は預かってきたメモを取り出す。村雨はそれを受け取ると、小さく頷いて袂に入れた。けれども椿は、まだ何か言い足そうに村雨を見つめる。村雨もそれに気付いて彼女を見返すと、椿は言葉を選ぶようにして切り出した。


「実は、村雨さんにお願いがあるんです。個人的に、調べてほしいことがあって。――もちろん、報酬は払います。私が出せる限りのもの、ですけれど」


それは、椿からの情報屋である村雨に対しての個人的な依頼だった。それに九段は関わっていないのだと、彼女の表情から察する。村雨が続きを促すと、彼女はゆっくりと続けた。


「私は、私のことを知りたいって思っているんです。ひとつでも、何か、手がかりを知りたい。お願いできませんか」


椿のことは、九段からぼんやりと聞いていた。幼い九段の前に突然現れた記憶喪失の少女。そして現れた時と同様、唐突に姿を消し――彼女と九段が再会したのは七年後の今。それも、昔と変わらない姿だったという。不可解な彼女は、何よりも自分のことがわからないのだ。だから自分のことを知りたいのだという。
それは、村雨の紡ぐ幻想の物語よりも奇異な出来事だ。


「わかった。探ってみるよ」

「よろしく、お願いします……!」


村雨の返答に、椿は深々と頭を下げる。彼女にとっては、藁にもすがる思いでの申し出かもしれない。けれども村雨にとっては、好奇心の延長線上の調査になりそうだ。
情報屋をやっているのにはいくつか理由があるが、道楽としての側面があるというのも否定はしきれない。何かを調べるのは、昔から得意なのだ。

(だけど、この子のことはどうなるかな)

七年間椿のことを探していた九段でさえも、結局、彼女に関しての情報はなにひとつ見つけられなかったと言っていたのだ。果たして、自分に何か見つけられるのだろうか。

(わからんが……気にはなる)

このところ、世間は騒がしい。憑病、鬼の一族、神子の召喚。それらもとても魅力的な話題ではあるが。

(どうにも、放っておけないな。何かある気がする)

村雨の勘が告げているのだ。宮本椿に関しては、一筋縄ではいかないだろうと。それに対して、不思議な興味と探求心が疼くのだった。
これだから情報屋は、やめられないのだ。


180321



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