継ぐもの、繋ぐもの


「ハルさんは、一体いつから九段様にお仕えしているんですか」


ふと気になって尋ねたのは、昼食の後片づけをしている最中だった。ハルさんが拭いてくれたお皿を、食器棚に戻しながら尋ねる。
ハルさんは、私が拾われる前から九段くんに仕えていると聞いていた。出会った当時、もうベテランの女中さんといった様子だったし、駒野の侍女をしていた頃からハルさんはずっと憧れの存在だった。
でも彼女の出自は、謎だったのだ。それは彼女自身、多くを語らない質だからというのが大きい。


「そうですね……椿さんがやってくる5年ほど前でしょうか」

「えっそうだったんですか」


ハルさんは、ややあってから答えた。その返答を意外に思う。ハルさんは他の女中さんとは異なり、一族の跡取りである九段くんの専属乳母だったから。もっと、先代からのゆかりなのかと勝手に思いこんでいた。
私のそんな心境を察したのか、ハルさんはくすりと笑った。


「実は私も、九段様に拾われたんですよ。椿さんと同じなんです」


そしてそれから、ハルさんは自分の生い立ちについて語ってくれたのだった。
ハルさんは元々、京の生まれだったらしい。けれども生まれが京というだけで、その後は各地を転々としたそうだ。ハルさん先祖はまだ国が開かれる前には幕臣として働いていたこともあったようで、明治に入ってからは海外へ出向くような仕事もしていたのだという。
そんな家系に、いわゆるお嬢様として生まれた彼女の運命が変わったのは、まだ年齢が二桁にも届かないころだった。


「お嬢様といっても、その頃にはもう廃れかかった華族のようなものでしたから。両親を流行病で亡くしてからは、慎ましやかに生きることになったのです。私は元々、お嬢様生活が窮屈で仕方なかったから、願ったりでしたよ。それで、成人までは長崎の親戚に世話になって育ったのです」


若くして天涯孤独になった彼女だが、しかし長崎での暮らしも苦しいものではなかった。親戚の家でも大切にしてもらっていたらしい。けれどもハルさんは、亡き両親から聞かされていた自身の出自についての事が、どうしても忘れられなかったそうだ。


「私の血筋は、少し厄介な流れを汲んでいまして。別の街に同じ血の連なる人たちが居るのは知っていたのですが、どうにも疎遠で。今更共に暮らすにも気が乗らなくて。――けれども父母のことを思いだす度に、このまま何も成さずにいていいのかと思うようになってしまったんです。とはいえ、女の身。できることは多くありません。途方に暮れたときに思い出したのが、星の一族のことでした。私はよくその人たちや、神子・八葉といった伝承を寝物語に聞いていたんです」

「すごい、星の一族のことを昔から知っていたんですか。九段くんは、あまり知られていないことだって言ってましたけど、それって、すごいことなんですよね」

「ええ、すごいかは兎も角、珍しいと思いますよ。私の家には、それに関連する様々な文献がありました。代々受け継がれていたものだったのですが、この先私一人で保管していくのは難しいと思った。だから、その処分を決めるついでにも萩尾家を訪ねたんです。とはいえ、あまり期待していませんでしたけど」


ちょうどその頃、萩尾家ではあの「予言」騒動の後だったのだ。一時はもてはやされた星の一族は、その後、力が失われたと発表して以降は世間からはあまり良い印象を持たれていない。それは、私が拾われた当時もその傾向があった。元々、得体の知れない名家という印象を持たれていたのが、輪を掛けて異質と認識されてしまったのである。


「私の存在は、萩尾家でははじめは歓迎されなかった。……けれども、九段様だけは違った。私の持ち込んだ文献に価値を見いだした。それから九段様は私に、帰る家がないならここで暮らせばいいとまで言ってくれたのです」


九段くんはそのとき、まだ物心がついてすぐの年齢だ。それでも、既に今の九段くんと変わらぬ聡明さを持っていたという。そして、その能力からもう九段くんは時期当主と定められていた。その後もなかなかすんなりと、とはいかなかったという。それでも、九段くんはハルさんを側に置くといって聞かなかった。


「ふふ、おかしいでしょう。私を気に掛けてくれたのは、小さな子供たった一人。でも、そのたった一人に私の運命は救われたんです。そして、そのことに私は感動しました。こんなにも他人に、必要とされたことは私の人生においてありませんでしたから。だから、決めました。残りの私の人生は、この小さな主のために使おうと」


九段くんの意見は、最終的に通された。そしてハルさんは、九段くん付きの乳母となったのだ。そうして、今に至るのだ。


「九段様は決して、強い人ではありません。確かに、特別な力を持ってはいるかもしれない。でも、それは全て彼の努力によって成されたもの。九段様が持っている尤も特別な力は、その底なしの優しさでしょう。それによって、救われた人は私に限らずに、多くいるでしょう」

「ああ……そうですね、私もそう思います」


ハルさんの言葉に頷く。覚えがある。私も、ハルさんと同じだ。あの時に九段くんが拾ってくれたから今の私がある。もし九段くんと出会っていなかったらどうなっていたか、想像ができない。でも間違いなくあの時、私はこの世界で九段くんに救われた。誰にでもできることではない。きっとあの時手を差し伸べてくれたのが九段くんだったから、今の私がある。


「だから、私の幸せは九段様が幸せになってくれることなんです。この身がお役に立てているならば、それで満足なんですよ」


優しく微笑むハルさん。私は彼女の心に強く共感しながらも、でも、と声をあげた。


「でも、ハルさんも幸せでいなくっちゃだめだと、私は思います」

「なぜ?」


首を傾げたハルさんに、私はだって、と続ける。


「だってハルさんのお名前は――福地千春さん、でしょう。その名前の通り、福が来て、春が来なくちゃですよ。それに、九段様も同じことを言うと思います。ハルさんが九段様を思うのと同じように、九段様もハルさんを大事に思っていますから」


私の言葉に彼女は、少し目を丸くした。でも、すぐに柔らかく微笑んだ。


「ふふっ、名前のことを言われたのは初めてです。でもありがとうございます。私も、椿さんでよかった。大切な九段様のそばに居てくれる女性が貴女のような、優しい人で、嬉しいです」


彼女の呟いた意味は、まだよくわからない。ハルさんに比べて、私は九段くんに対して全然貢献できていないと思う。
それでも、もし私の身が彼やハルさんに求めてもらえているのならこれ以上のことはないのだ。



180321
ハルさんが継いでいた「神子軍記」は、現在、萩尾家で保管される。



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