帝国軍相談役の萩尾九段殿が女性を連れ回している――という噂は、彼を知る者の間にあっという間に広まった。
それまで色気より断然食い気、男女のなんたるには興味もなさそうな彼だったので、軍の内外で彼の変化には驚く者は続出した。それでも九段が色恋に惑わされた――とどこぞの上官に報告がいかなかったのは、九段がそれでもしっかりと仕事をこなしていたことと、一目その女性と居る九段を見かけた者は「なんだ、そういうことか」と噂の字面とのギャップに認識を改めることになったせいである。

村雨は、そんな状況に苦笑を浮かべている。


「村雨、一杯頼む。この後椿が来るので、それまで待たせてもらうぞ」

「また椿さんと待ち合わせか?」

「そうなのだ。丁度こっちに買い物があると朝言っていたからな。我も一度軍邸に帰る故、共に歩こうと思って」

「まだ椿さんを方々へ連れ回しているのか?飽きないねえ」

「飽きるものか。どんなに一緒に居ても、七年間は埋まらぬのだぞ」


言葉だけ聞いていると、恋に溺れる相談役殿である。だが、その表情を見るとそんなことは皆言う気が失せるのだ。どうみたって九段が椿を慕う様子は、長く離れて暮らしていた姉との再会に甘えまくる弟、という風にしか見えない。もしくは、よく懐いた犬と主人。
だが、村雨の認識はちょっと違った。可愛い弟にも懐いた犬にも、九段は当てはまりそうになかったからだ。少なくとも、椿に対しては。


「まあ…好きにしたらいいさ。ずっと椿さんのこと、探していたんだ、再会できたと聞いたときは俺も心からあんたを祝福したくなったよ」

「そうか、ありがとう村雨」

「でも、不思議なこともあるもんだな。七年の時空を越えちまうなんて」


コーヒーカップにいくつも砂糖を投入していた九段は、村雨の言葉に手を止める。それから考え込むように、視線を遠くした。


「そうなのだ。断定はできぬが――術の施行先がゆがめられたとしか考えられぬ。確かに術は作動して、そして役目を果たした。確かにあの頃の我に力はなかった。故に、今の力の増した我の元に運ばれたとも考えられるが…それにしても…」


そのつぶやきは、村雨に対しての返答ではなさそうだった。もっと、自分に問いかけるような、そんな口調。九段にそんな顔をさせるだけでも、村雨にとって椿は珍しい女と認識させる。
と、店の扉が控えめに開いて若い女が顔を覗かせた。


「あら〜椿ちゃんいらっしゃい!先生、椿ちゃんが来たわよ〜!」


マスターの呼びかけに、ぱっと九段は顔を上げた。


「椿!」

「椿さん、いらっしゃい。はやくこの大食らいを引き取ってってくれ」

「こんにちは、村雨先生。九段くんがお世話になっています。――あ、九段くん、またコーヒーに砂糖入れまくったでしょう、いけませんよ」


真っ直ぐにカウンターにやってきた彼女は、ぺこりと村雨へ頭を下げると九段のカップを見て顔をしかめた。
彼女は部分的にフリルリボンのあしらわれた、黒い洋服を纏っている。スカートは足首まであり、上から白いエプロンを身につけていた。俗にいう、メイド服というやつだった。ヘッドセットこそしておらず、セミロング程の髪はすっきりと後頭部でまとめられているが、妙に似合っているせいか物珍しさか、周囲の席の男性客の視線を集めた。


「なあ、気になっていたがその格好は椿さんの趣味?」

「え!まさか!これは九段くんが、軍邸で働くなら正装だからって用意してくれたやつですよ!」


びっくりした椿は首を振る。その横で、九段が満足げに笑った。


「似合うだろう!椿には絶対似合うと思って、知り合った洋服屋の主人にあつらえてもらったのだ!」

「え、軍からの支給じゃないの!?」

「資金は軍から出ておるぞ?それに、よく似合っておる。これからもその服で、我の側で働いて欲しい」


まさかの事実に目を丸くする椿だったが、熱烈な九段の言葉に圧されるようにして頷く。
村雨は、あーあ、と心の中で彼女へ同情した。そして九段をさも人畜無害の可愛い青年だと思っている周囲に対して思う。九段はもとより帝国軍に単身乗り込んで上層部に食い込むようなやつだ。かわいい飼い犬ではなく、本質は血統の良い猟犬に近い。


「村雨、我はひとつだけ良かったことがあってな」


その証拠に。去り際、九段は旧友に耳打ちする。


「確かに椿との七年間は失われた――だが、普通なら追いつくことのできない椿の年齢に、我は並ぶことができたのだ。それを我は、何故だが嬉しく思ってしまうのだ」


ふんわり笑う表情ではあるが、確かな強かさも垣間見える。
自覚しているのかはさておき、少なくともこの男は外見に似合わず野心家である。椿も周囲も、九段への評価をやや改めるべきである。


160405



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