ハルさんは仕事が残っていたらしい。少しの間なら私が九段くんを見ているからというと、彼女はお願いしますね、と席を立った。
ハルさんが姿を消すと、すかさず九段くんは私の顔をのぞき込んで眉尻を下げる。


「なんだか難しい話をしていたようだが、椿、大丈夫か?」

「はい、大丈夫ですよ。心配かけちゃいましたか?」


九段くんは、たまに感情の変化に敏感である。だから、なかなか隠し事をするには難しい相手だった。
大丈夫、と言う私に納得する様子のない彼に、私はつい言葉をこぼした。


「九段くんは――私が、駒野のお家から出て行ったらさみしがってくれます?」

「遠くにいくのか?!それはだめだ!」


びっくりしたように声を上げて、ひしっと手を握る九段くん。こんなに慕われているなんて、嬉しいなあなんて思いながらも、私は首を横に振った。


「もしも、のことだけれども。どうなのかなって」

「――もしや、故郷を思い出したとかか?帰りたくなったか?」

「そうでも、ないんですけれどね」


急に、不安そうにおろおろする九段くんに、なんだか申し訳なくなってきた。これでは、なんでもないと言っても信じてくれそうにない。
ちゃんと説明するしかない、と九段くんに視線を合わせる。


「遠くにはいかないんですけれど。実は、」


言い掛けたかけた時、屋敷の外のざわめきに気づく。
なんだか切羽詰まったその声に、私と九段くんは思わず、門から顔を出した。すると、同じように外をうかがうご近所さんと、通りの向こうから走ってくる人々とで通りはごった返していた。


「火事だ!向こうで火の手が上がってるぞ!!」


上がったその声に、どよめきは増す。
あちら、と指された方に遠目に、煙が上がり始めていた。あちらは確か、九段くんの大好きな和菓子屋がある方だった。


「大丈夫かしら…」

「これほど離れていればここまでは火はこないだろう」

「既に避難も済んでいるというし、あとは火消しに任せるしか」


そんな言葉が周囲で囁かれている。けれども私は――その空気に、身体を強張らせていた。風邪に乗って流れてくる何かが燃えた匂い。それから、赤い、赤い、炎。
頭の奥で、けたたましい警鐘がなっている気がした。


「私、行かなきゃ」

「椿?!!」


慌てて引き留めようとする九段くんの声を背に、気づいたら走り出していた。





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