体調を崩すとしばらく家から出してもらえなくなる。それは昔からのことだったけれども、だからといって慣れたわけではない。熱があったり咳が止まらなかったりする時は、まず起きあがれないから仕方がない。でも、だいぶ快方に向かっている時、千代ははやく友達と遊びにいきたくて仕方がなかった。
一昨日、熱を出した。だから今週は家に居るようにと言われてしまったのだ。もう殆ど具合はいいのだけれど、それを訴えても許してくれそうもない。でも膨れっ面で駄々をこねたら、「敷地内ならいいですよ」と椿お姉ちゃんは苦笑して許してくれた。

本当は、お友達と遊びたいのだ。本を読むのも、お人形遊びも、一人では飽きてしまったから。それでも今日はお天気だから、外の空気を吸えるだけでもいいかもしれない…。
そう思って庭を散歩していると、垣根の向こうに人影を見つけた。しょんぼりと肩を落としていた千代は、ぱあっと顔を輝かせてそちらへと駆け寄る。その姿は、千代のよく知る人物のものだったからだ。


「くだん!」


千代の声に、振り向いたのはお隣の男の子、九段である。九段は千代より少し年上だけれども、とても穏やかで優しい男の子であり、そしてやや頼りなげなところもあり、千代は彼に対して気兼ねなく接していた。昔も今も変わらず、大切な友達である。
萩尾家と駒野家の境の垣根は低い。だけれども子供の千代にとってはそれほどでもなく、垣根越しに九段と会話をするには少し身長が足りなかった。でもこの垣根、一部隙間があいているのだ。千代も九段もそれを知っていたので、二人してごく自然に、その隙間越しに顔を見合わせた。


「千代、もう加減は良いのか?」

「うん。折り紙、ありがとう。とってもきれいで、うれしかったわ」

「そうか、それなら我も心を込めて折った甲斐があった」


千代は、久しぶりに見た友達の姿にすっかり機嫌をなおしていた。それに、ここは敷地内だから約束も破っていないはずである。
九段は昔からあまり近所の子供とつるむことは少なかった。千代が手を引くと拒否はしないものの、学校にも通わずにいつもお屋敷で一人で過ごしているらしいので、変わり者だと見られることもしばしばある。しかし九段本人はあまりそれを気にしてない風だった。

(あんまり、他の人が気にならないのかしら)

子供ながらに千代は、九段をそう分析していた。周りの目が気にならずに自分を貫き通すということは、なかなかできるものではない。それは九段の意志の強さがものを言っているのだろう。でもまた、言い換えれば九段が他の子にあまり強く興味を示してないといえるのかもしれない…。

これは九段の美点であったが、同時に千代としては心配な部分でもあった。九段は人とのつながりをあまり重視していなさそうだ。そのせいで、彼は人と関わり慣れていなく、どこか世間知らずな部分があった。

(もうちょっと、九段は他の人に興味を持った方がいいわ)

なんて、偉そうにいえるほどではないので千代の心の中でのぼんやりとした危惧なのだが。
けれども、この頃はそこまでこの件に関して心配はしていなかったりする。

九段はほのぼのと微笑みながらも、しきりに千代の背後を気にしたようにそわそわ見ていた。その視線の意味をさっして、さらりと言った。


「椿お姉ちゃんなら、お買い物に出かけているわ」

「! そ、そうか。椿は千代付きだが、離れることもあるのか」

「そうよ。ずうっと一緒ではないの。九段の、ハルさんもそうでしょう」

「う、うむ…そうであったな」


その、あからさまにがっかりとした様子に千代はおかしくなる。


「九段、椿お姉ちゃんが気になるの?」

「えっ、あ、気になるというか、…そうだな!椿は萩尾とはつながりのない駒野の家人だが、それでも浅からぬ縁であるしっ!我が気にしない方が変だろう?!」


虚を突かれたようにはた、と目を丸くしたかと思えば、腕を組んでかんがえこみ、なにやらもっともらしくいい連ねる。

(わかりやすいなあ)

千代は、そんな九段の様子に笑いが隠せない。
少なくとも、千代がみる限りは九段がかつてこれほどまで誰かを気にしたことはないのだ。本人はまるで気づいていないようだが、千代から見たら九段が椿を特別視しているのは丸わかりだった。千代にわかるのだから、周囲の大人も承知済みだろう。知らぬは本人たちばかりというわけだ。あれで、気づかない椿にも驚きではあるけれども。


「だから、我が椿を気にするのは当然なことだろう?!」

「はいはい、そうね。けれど、椿お姉ちゃんは駒野の人間だって忘れないでね?」

「むむ…なんだか千代、我が椿と親しくするのを良く思っていないような物言いではないか?」

「そんなことないわ。でも私だって椿お姉ちゃんが大好きなんだから」

「別に我は、椿を千代から取ったりしないぞ?」

「どうかしら?」


そんなやりとりをしつつも、千代はちょっぴり嬉しいのだ。九段が、こんなにも誰か一人を気にするところなんて見たことがない。九段はいつも優しく、そしてどこか一歩引いているようなところがある。だから、こんなに子供らしく誰かに甘える九段に、どこかほっとしているような自分がいるのである。

(九段にとってきっと、椿お姉ちゃんは特別なんだわ)

なんて勘を働かせる千代は、幼いながらも女なのだった。


160315



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